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李(り きょう、1659年 - 1733年)は、清代初期の中国の学者。字は剛主。恕谷と号する。 == 略伝 == 蠡県(河北省)の出身。1690年に挙人となり、60歳で通州学正となるが、80日間勤めて、病気のために辞任して郷里に帰る。よく知られた親孝行で、父と育ての母のもとに居住していたが、毎朝早く起きて25里離れた生母のところへ歩いて行って4人の弟に読書を教え、夕方には父のもとへ戻って拝し、また生母のところへ行って生母を拝す、という風だった。父が亡くなった後、3日間食を断ったともいう。75歳で没する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李キョウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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