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山田直政 : ウィキペディア日本語版
山田直政[やまだ なおまさ]

山田 直政(やまだ なおまさ)は、岡山県出身の元プロ野球投手。左投左打。
== 来歴・人物 ==
岡山南高校では、関西高を七回までノーヒット・ノーランに押え注目され、大洋、広島からもマークされていた。高校時代の通算成績は12勝4敗。 1967年のドラフト4位で巨人に入団するが、翌年シーズン途中で解雇。在籍は半年余りであった。一軍出場無し。1969年には中南米のグローバルリーグに参加、森徹が監督をつとめる東京ドラゴンズに所属したが、現地に赴く前に退団している。がっちりとした体格から重い速球と落差のあるカーブを投げ込む本格派であった。
巨人解雇の理由は当時の二軍監督中尾碩志が年末迄チームで練習すると言い、二軍選手が皆で不満を言った所、たまたま山田の後ろに中尾がいて聞いていた為と言われている。その通告も中尾から受けているが、解雇前日には宮田征典から、「お前調子いいな」とブルペンで言われており、実力面でのものではない。山田の発言自体も首脳陣批判というより少年の愚痴に近い物で、中尾が解雇の理由を語らなかった事から真相は不明で謎も多い。二軍のコーチや担当スカウトだった木戸美摸は解雇が納得できず中尾に詰め寄ったが受け入れられず、責任を感じ東京(現ロッテ)やサンケイ(現ヤクルト)の入団テストを受けられる様に手配したが、巨人退団後の練習不足で不合格となり、球界から引退した。
当時スカウト部長だった前川八郎は、「理由が全くわからなかった。たとえ監督を批判したとしても、首にする事はないと思う。監督の悪口一つ言えないようではプロとは言えない」と中尾を批判している。
その後は実家の岡山に戻り2年間は酒浸りの生活をしていたが、岡山のクラブで偶然あったかつてのチームメイト森祇晶に馬鹿にされたのをきっかけに、真面目に働く様になり家業の縫製工場を継ぐ。
巨人での一番の思い出は、打撃投手として帯同した名古屋遠征で映画館に高田繁と高校生の料金で入ろうとしてバレた事と本人は語っている。
阪神タイガース江夏豊対策として一軍に打撃投手として呼ばれたことがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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