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山崎勲 : ウィキペディア日本語版
山崎勲[やまざき いさお]
山崎 勲(やまざき いさお 1928年7月28日 - )は、元競輪選手。現在は社会福祉法人顧問。現在の高知県香美市(旧土佐山田町)出身。選手現役時は日本競輪選手会高知支部所属。選手登録番号5160で日本競輪学校創設前の期前選手。
長男の山崎正一も元競輪選手(42期)。
==競輪選手として==
高知県立新制高知高等学校定時制に在学中、自転車屋に住み込みで働いていたが、1950年高知競輪場が開設されたことを聞き、同年7月25日に選手として登録。当初は短期間に生活費と将来の学費を稼ぐ目的であったが、1952年に当時の最高位であるA級1班に昇格し、1953年には当時の大阪中央競輪場で開催された第8回全国争覇競輪(現在の日本選手権競輪)決勝で2着に逃げ粘るなど、捲りや先行の戦法を主体として一線級の実力を発揮したことから、その後も選手として活躍し続けた。
選手としてのピークを過ぎた直後、次男の病気(後述)がきっかけで福祉活動の必要性を実感したことから、自ら福祉施設の建設と運営に乗り出すことを決め、それからは自分の賞金を福祉活動の資金とするために走り続け、1986年4月29日高松競輪B級一般戦8着をもって引退するまで、36年間もの競輪選手としての通算で3195戦674勝を挙げる立派な成績を残した。同年5月7日に選手登録消除。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山崎勲」の詳細全文を読む



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