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太宰久雄 : ウィキペディア日本語版
太宰久雄[だざい ひさお]

太宰 久雄だざい ひさお1923年12月26日 - 1998年11月20日)は、日本俳優東京市浅草区(現・東京都台東区浅草)出身。映画『男はつらいよ』シリーズのタコ社長(桂梅太郎)役で有名な俳優である。同映画において渥美清演じる車寅次郎との掛け合いは、映画の見所のひとつであった。
==来歴・人物==
浅草の海苔問屋の息子として生まれる。タコ社長役で見られた髪型は、父・久吉をモデルにしたもので、当時の浅草の海苔問屋の商人たちの間で流行っていた髪形であるといわれている(あのように、独特のウェーブは魚の鯔の背中の姿を模しているから、イナセと呼ばれる江戸時代に流行ったスタイルでもあった)。
中学時代、軍事教練で、間近で機関銃を撃たれ耳が少々悪くなる。それ以来声が他人より一オクターブ高くなってしまった。それはコンプレックスでもあったが、後に俳優として活きることにもなる。
元々俳優志望ではなく、昭和第一商業学校(現・昭和第一高等学校)を経て日本大学商学部を中退後、実家の海苔問屋を手伝った時期もあり、いずれは家業を継ぐつもりであったが、東京大空襲で店が全焼。戦後の1946年、生活の道を求めてNHK東京放送劇団に入団。独特の高い声を活かしラジオの声優として活躍。この頃に三崎千恵子など、後の「男はつらいよ」シリーズで共演する人たちと知り合う。
役者としてステップアップするために、1955年フリーに。その後、黎明期であったテレビで活躍する一方、映画にも進出。1965年フランク・シナトラ監督主演の日米合作映画「勇者のみ」での演技が高く評価される。1966年には渥美清演じるドラマ「泣いてたまるか」に出演し、掛けあいの面白さが注目される。
後に、渥美の代表作「男はつらいよ」シリーズで「とらや」の裏で印刷工場を営む、気は短く一言多いがどこか憎めないタコ社長の役で全48作全てに出演し、渥美演じる寅次郎との掛けあいのシーンは、映画館やお茶の間を爆笑の渦に巻き込んだ。また、山田洋次作品常連として、「男はつらいよ」以外の数々の作品にも出演している。
プライベートでは1970年に前夫人の女優:小野舜子で亡くし、三崎千恵子の紹介で知り合った雅子夫人と1977年に再婚。
1987年頃からは仕事上のストレスによる飲みすぎから糖尿病との闘病が続き、「男はつらいよ」も含め、メディアの露出も控え気味だった。1996年7月、糖尿病による視力障害の検査で病院に訪れた際に癌が見つかり告知された。入院中だった同年8月、渥美清が死去。同年の8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」に出席した後は見舞いも断っていたという(このような経緯もあり同年公開の虹をつかむ男に出演オファーはあったが断念している。)。
1998年11月20日、胃癌により東京大学医学部附属病院分院にて死去。。
『葬式無用。弔問供物辞すること。生者は死者のため煩わさるべからず。平成9年2月26日 太宰久雄』という夫人宛の遺言と共に、その死が公表されたのは10日後。三崎千恵子に「このまま伏せておくのはどうかしら」と言われた雅子夫人が松竹に相談してのことだった(ちなみにこの遺言は、公表翌日の朝日新聞天声人語」などで取り上げられ、死のあり方について一石を投じた)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「太宰久雄」の詳細全文を読む



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