翻訳と辞書
Words near each other
・ 大モリ
・ 大モルトケ
・ 大モンゴル国
・ 大モン口文化
・ 大ヤコブ
・ 大ヤマト
・ 大ヤマト零号
・ 大ユリア
・ 大ヨウ湾疏港高速道路
・ 大ヨト
大ラヴラ修道院
・ 大ラーフラ教誡経
・ 大リビアアラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国
・ 大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国
・ 大リンパ球
・ 大リーガー
・ 大リーグ
・ 大リーグアワー
・ 大リーグアワー (NHK)
・ 大リーグボール


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大ラヴラ修道院 : ウィキペディア日本語版
メギスティス・ラヴラ修道院[めぎすてぃすらう゛らしゅうどういん]

メギスティス・ラヴラ修道院〔修道院名の転写出典:教員情報検索:生産工学部 総合科目等 中西 裕一 〕(大ラヴラ修道院、)は、アトス山で最初に開かれた正教会修道院。アトス半島の南東に位置する〔Megiste Lavra 〕。
アトスのアサナシオスによって963年に創建。創建にあたっては東ローマ帝国皇帝ロマノス2世の後援を受けた。
修道院内に17の聖堂、修道院外に管理する19の聖堂がある〔。主聖堂は10世紀に遡るもので、壁面の塗装は16世紀に行われたものである〔Megiste lavra - Mount athos Halkidiki Greece 〕。当初主聖堂は生神女福音を記憶するものであったが、15世紀アトスのアサナシオスを記憶する聖堂となってこんにちに至っている〔Great Lavra (Athos) - OrthodoxWiki 〕。
共住修道院として創られ、14世紀まで共住修道院として機能し続けたが、14世紀に独居修道にスタイルが変わる。度重なった地震やオスマン帝国の支配によって、修道院は衰退した。1574年アレクサンドリア総主教シルヴェストロスが介入し、共住修道形式に戻ったが、1670年には再び独居修道制となった〔。
1963年にはアトス山の他の全修道院とともに、修道院創建の1000年記念行事が行われた。1980年に再び共住修道形式になった〔。
多くの皇帝、王達が修道院に多額の寄進をしてきた。アトス山の中でもメギスティス・ラヴラ修道院は豊かな修道院の一つであり、豊富な収蔵品を誇っている〔。
== 脚注 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メギスティス・ラヴラ修道院」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Great Lavra (Athos) 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.