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佐久間信房 : ウィキペディア日本語版
佐久間信房[さくまのぶふさ]

佐久間 信房(さくまのぶふさ)は、江戸時代中期の旗本
寛文7年(1667年)12月14日、将軍・家綱に拝謁。寛文12年(1672年)5月26日、御書院番に列せられる。貞享元年(1684年)12月16日、家督(武蔵国児玉郡、横見郡の内1000石)を相続。
元禄元年(1688年)3月28日から進物番に就く。元禄6年(1693年)5月11日、筑前国肥前国の間で争いになっていた土地の検分に派遣された。元禄7年(1694年)4月14日、目付に任ぜられ、同年12月18日、布衣を許された。元禄10年(1697年)5月11日、駿府町奉行に転任、元禄13年(1700年)4月25日に職を辞して寄合に列した。
宝永元年(1704年)10月9日、御先弓頭となる。宝永3年(1706年)11月26日から西の丸に出仕となり、宝永6年(1709年)に本丸に復帰。正徳元年(1711年)5月25日、盗賊追捕役を命ぜられ、正徳3年(1713年)8月29日まで勤めた。享保5年(1720年)1月11日、御槍奉行となる。
享保7年(1722年)10月15日死去。享年73。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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