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九六式十五糎加農(きゅうろくしきじゅうごせんちかのん)は、1930年代中期に開発・採用された大日本帝国陸軍の加農(カノン砲)。俗称は九六式十五糎加農砲(きゅうろくしきじゅうごせんちかのんほう)。 == 概要 == 昭和初期、各国重加農の射程は最大25kmほどになり、これに対抗できる重砲が日本でも必要と判断された。九六式十五糎加農は従来配備されていた八九式十五糎加農のさらに後方に配置され、主として遠距離砲戦を担当するよう構想された砲である〔佐山『日本陸軍の火砲 要塞砲』377頁〕。 前身の研究として四五式十五糎加農を改造し、仰角を上げて要塞砲に改修している。ただしこの砲は威力が不十分とみなされたため、昭和7年に新規研究が開始された。内容は以下とされた。 * 自動車で牽引する大威力の重加農であること。 * 四五式十五糎加農よりも運搬、据え付け、組み立てが便利であること。 * 移動砲床を埋め込んで設営する必要がないこと。展開時間を短縮すること。 * 野戦、攻城、海岸要塞のどれにも対応できること。 砲と弾薬車の開発決定は昭和8年4月20日である。昭和9年3月に設計開始、大阪砲兵工廠および日本製鋼所により砲身、二種類の遥架、駐退機などが製造された。また砲床は埋設式ではなく地面に展開して駐鋤を打ち込むものを開発した。試製砲の竣工は遅れたものの、昭和11年8月に完成した。昭和12年1月に運行試験、放列布置試験、弾道性試験を実施。3月には62kmの運行試験を行い、平均速度9.85km/hで移動した。遥架は定後座式が選ばれ、後座長は1mとされた〔佐山『日本陸軍の火砲 要塞砲』378-379頁〕。 昭和13年1月には海岸での射撃試験を行った。10月、内管交換砲身の機能試験。強装薬での砲身命数は300発と見込まれた。昭和15年4月には砲の俯仰を電動化する改修が実施された。10馬力直流200V電動機を砲架後端に搭載し、1分5秒で射角45度の射撃行程を行った。手動では1分55秒を要した。この電動補助は射角20度以内では必要とされなかった。高低照準器に組み込まれた電動水圧制御機は日本製鋼所により製作された。この電動化改修を受けた砲は試製九六式十五糎加農(電動機付)と呼ばれ、高い発射速度が必要な海岸要塞などで運用するものとされた〔佐山『日本陸軍の火砲 要塞砲』380-381頁〕。 製造数について、大阪陸軍造兵廠第一製造所が昭和17年10月末に作成した火砲完成製造数の報告では、31門完成としている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九六式十五糎加農砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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