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ローマ人への手紙 : ウィキペディア日本語版
ローマの信徒への手紙[ろーまのしんとへのてがみ]

ローマの信徒への手紙』は『新約聖書』中の一書で、使徒パウロの手によるとされる書簡。『ローマ人への手紙』や『ローマ書』(『ロマ書』)などとも呼ばれる。本書はパウロ本人によって書かれたものであるとみなされている七つの手紙の一つである。
19世紀ドイツテュービンゲン学派を代表する学者でパウロ書簡の多くを本人のものでないと考えていたフェルディナント・クリスティアン・バウアさえパウロのものと認めていた。
==歴史==
本書はコリントスあるいは本書の筆記者テルティオがいるケンクレアイ(エーゲ海に面したコリントス至近の港)において書かれたと思われる。ケンクレイアイのフェベがローマに送り、コリントスのガイオが執筆中に傍らにいたという〔16:23、『コリントの信徒への手紙一』(『一コリ』)1:14〕。さらにコリントの街の会計係をエラストがつとめていたという〔『二テモテ』4:20〕。
書簡中には執筆時期をうかがわせる記述はないが、おそらくパウロがエルサレム教会のための募金を行い、「聖なるものたちに仕えるために」エルサレムを訪問しようとしていたころであると考えられる。すなわち第二回ギリシア訪問のころで、58年初頭のローマ訪問〔『ローマ書』15:25、『使徒言行録』(使徒書)19:21、『一コリ』16:1-4〕の直前の冬であろう。
ローマのキリスト者共同体は聖霊降臨〔『使徒書』2:10〕に居合わせた人々のいずれかによって作られたのであろう。当時、ローマには多数のユダヤ人が在住していた。シナゴーグにはローマ市民も出入りしていたため、まず彼らがユダヤ人をとおしてイエス・キリストについて知るようになったと考えられる。こうしてユダヤ人と異邦人からなるローマのキリスト者共同体が生まれた。パウロがローマにやってくると信徒たちの歓迎をうけたが、信徒の数は多数いたと考えられ、集会の場所も複数あったことがうかがえる〔『ローマ』16:14,15〕。
『ローマ書』が扱うことがらの多くは、『ガラテヤの信徒への手紙』(『ガラテヤ書』)などそれ以前に書かれた書簡でも扱われる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Epistle to the Romans 」があります。



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