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ランカスター公ジョン : ウィキペディア日本語版
ジョン・オブ・ゴーント

ジョン・オブ・ゴーント(John of Gaunt, 1340年3月6日 - 1399年2月3日)は、イングランドの王族。イングランドエドワード3世フィリッパ・オブ・エノーの第4子で三男。ランカスター家の祖。エドワード黒太子クラレンス公ライオネル・オブ・アントワープは兄、ヨーク公エドムンド・オブ・ラングリーグロスター公トマス・オブ・ウッドストックは弟。
ランカスター朝創始者ヘンリー4世 (イングランド王)の父。
1359年、初代ランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモントの次女ブランシュと結婚し、ランカスター公となった。イングランド宗教改革の先駆者ジョン・ウィクリフの保護者として知られる。ゴーントとは、出生地であるフランダース(フランドル:現在のベルギー北部)の都市ヘントを指す。
== 生涯 ==
1369年から再開した百年戦争において多くの戦いに参加したが、さほどの戦果は挙げられなかった。国内では老いた父エドワード3世に代わって国政を取り仕切ったが、兄のエドワード黒太子が帰国するとこれと対立した。
1377年に甥のリチャード2世が即位すると実権を振るったが、1381年に課税の失策によりワット・タイラーの乱を誘発させたため、1383年にリチャード2世が親政を開始すると権力から遠ざけられた。王位継承を目指してイングランドでもフランスのような男系継承のみを認めるサリカ法を採用することを主張したが入れられず、リチャード2世は叔父ライオネル・オブ・アントワープの女系の孫であるマーチ伯ロジャー・モーティマーを王位継承者に指名した(ロジャーは1398年に死去)。
1386年からスペインに遠征し、後妻の権利としてカスティーリャ王位を主張したが果たせなかった。1389年に帰国し、留守中に生じたリチャード2世と諸侯の対立の修復に努めた。しかし1397年にリチャード2世はグロスター公トマス・オブ・ウッドストックらを逮捕し、ジョンの死の前年、その子ヘンリー・ボリングブロクを国外追放した。さらにジョンの死を見届けるとランカスター公領の没収を命じた。
ヘンリーは帰国して反乱を起こすとリチャード2世を捕らえて廃位し、ヘンリー4世として即位した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・オブ・ゴーント」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 John of Gaunt, 1st Duke of Lancaster 」があります。



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