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メドウランズの奇跡 : ウィキペディア日本語版
メドウランズの奇跡[めどうらんずのきせき]

メドウランズの奇跡(メドウランズのきせき、)は1978年11月19日にNFLニューヨーク・ジャイアンツの本拠地ジャイアンツ・スタジアムで行われたフィラデルフィア・イーグルス戦でのイーグルスのコーナーバック、ハーマン・エドワーズがファンブルリカバータッチダウンをあげたプレイに対する呼び名。イーグルスファンのみでなくスポーツキャスターやNFLフィルムズでも使用されている。試合時間残りわずかでジャイアンツが攻撃権を持っており、イーグルスはタイムアウトを残していなかった。ジャイアンツはもう1プレイ、イート・ザ・ボール時計を進めることで100%勝利するところであったが、QBのジョー・ピサーシックはフルバックのラリー・ゾンカにボールをハンドオフするプレイを選択、これがファンブルとなりエドワーズが26ヤードのリターンTDをあげイーグルスが逆転勝利した。
ジャイアンツファンはこのプレイをThe Fumble と呼んでいるがニューヨーク以外の土地ではThe Fumbleと呼ばれるプレイは1987年レギュラーシーズンに続くプレーオフ、AFCチャンピオンシップゲームにおけるクリーブランド・ブラウンズデンバー・ブロンコスのゲームでのアーネスト・バイナーがゴール前でファンブルしたプレイを指す。
このプレイはアメリカンフットボール史上、コーチのプレイコールの中でも最上級の過ちとして知られている。
== 背景 ==
この対戦はNFC東地区に所属する両チームにとってシーズン初の対戦であった。イーグルスはダラス・カウボーイズワシントン・レッドスキンズに次ぐ地区3位、ジャイアンツは地区4位であった。このシーズンから16試合となったレギュラーシーズンで両チームともカウボーイズからは大きく離されていたもののワイルドカードでのプレーオフ出場に望みをつないでいた。
ジャイアンツはロードで3連敗して5勝6敗となりプレーオフ出場のチャンスは遠のいており、この試合に勝つことがプレーオフ争いに残る絶対条件であった。ジャイアンツは1963年からプレーオフ出場を逃し続けており勝ち越ししたシーズンもわずか2回しかなかった。リーグで4番目に歴史のあるチームは1976年にニュージャージー州に本拠地を移転してホームスタジアムの座席数は増えたものの古くからのファンの一部はチームから離れていた。またチームにはゴタゴタが続いており、クレイグ・モートンフラン・ターケントンといった選手、トム・ランドリーヴィンス・ロンバルディといったコーチもチームを去っていた。
こうした状況にも関わらず多くのファンがスタジアムに足を運びチームの財政状況は堅実なものであった。
このゲームが行われる1週間前に選手たち(特にオフェンスの選手)の間でアシスタントコーチに対する不満の声がメディアにもたらされていた。選手たちは他のチームと比べてアシスタントコーチたちが若手の育成に熱心ではないと考えていた。シーズン開幕前、チームには経験のない3人のQBがいたがQB専任のアシスタントコーチが雇われることはなかった。選手たちの不満はオフェンスコーディネーターのボブ・ギブソンに対する不満の声が大きかった。彼はサイドラインからではなくスタジアム上階のスポッター席からオフェンスのコールを行った(現在では一般的となっている。)。それに対してQBのピサーシックは過去2シーズンに渡ってギブソンと口論を繰り返していた。前の週にワシントン・レッドスキンズに敗れた試合で第3ダウンロングの状況でパスは3回しか試みられなかった。オーバータイムに入っての第3ダウン7ヤードでもプレーコールはランプレイであった。ギブソンのプレーコールの背景にはピサーシックのパス能力への疑問があった。(ニューヨークのメディアもニューヨーク・ジェッツジョー・ネイマスブロードウェイ・ジョーと呼ぶのに対してオフ・ブロードウェイ・ジョーとピサーシックを呼んでいた。)当時のチーム強化方針も守備を向上させることに重点が置かれて攻撃は保守的なプレーをすることとなっていた。。そのためオフェンスの選手たちはフラストレーションがたまり、自分たちがやれることを示す機会を欲していた。
イーグルスは6勝5敗でアウェイの試合に乗り込んできた。2連勝している勢いもあり、また1975年の開幕戦で敗れた以降、ジャイアンツに負けなしであった。1960年に3回目の優勝を果たした以降、2シーズンしか勝ち越しできなかったチームに対してファンの眼は冷たいものがあった。この試合以降に強豪のダラス・カウボーイズミネソタ・バイキングスとの対戦を控えプレーオフ争いに残るためには絶対落とせない試合であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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