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マテウス・メーリアン : ウィキペディア日本語版
マテウス・メーリアン

マテウス・メーリアン(Matthäus (またはMatthew)Merian der Ältere(またはthe Elder、Sr.)、1593年9月22日1650年6月19日)は、スイスエングレービングを主に用いていた版画家製図出版業にも従事し、都市図や世界地図の製作など17世紀のドイツを代表するイラストレーターであった
==生涯==

バーゼル生まれ。マテウスはチューリッヒ銅版画の技術を学び、その後もフランスストラスブールナンシーそして1610年からパリで働きながら技術に磨きを掛けた。1615年に彼はバーゼルに戻るが、翌年にはドイツのフランクフルトにあったテーオドル・ド・ブリ(en)の出版社に勤めた。そこで知り合ったテーオドルの娘マリア・マグダラと1617年に結婚し、1620年にはバーセルに戻った。翌年には成長後父と同じ版画の道に進む息子マテウス・メーリアン・ジュニア(Matthäus Merian der Jüngere)が生まれる
マテウスはバーゼルで自己のスタイルを確立しつつあったが、3年後の1623年、義父テーオドルが亡くなると彼の出版社を継ぐためにフランクフルトへ引き返した。1626年には公民権を取得して独立で出版社を立ち上げ、多くの作品を世に送り出した。
1647年、後に画家自然科学者として活躍する娘マリア・ジビーラ・メーリアンを授かるが、マテウス自身は病を罹い、数年間の闘病も空しく1650年にヴィースバーデン近郊のバード・シュヴァルバハ(en)で死去した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マテウス・メーリアン」の詳細全文を読む



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