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ベレストヴェ
ベレストヴェ(ベレストヴォ)(())は現ウクライナ・キエフ内の歴史的地域である。ベレストヴェは、同じくキエフの歴史的地域であるルィプクィ(ru)、クローウ、ズヴィルィネツィ(ru)、ドニプロ坂(ru)などの間に位置している。 ==歴史== (留意事項):以下、キエフ・ルーシ期に関しては、他の地名・人名と同じくロシア語準拠表記(歴史学的日本語文献内の表記)の「ベレストヴォ」を用いている。 キエフ・ルーシ期にはキエフ大公の離宮が存在しており、『原初年代記』などの年代記の10 - 12世紀の記述に言及がみられる(初出は980年〔Повести Древней Руси. XI—XII века. Л., «Лениздат», 1983, с. 156.〕)。たとえばウラジーミル1世の離宮はベレストヴォにあり、ウラジーミル1世はベレストヴォで死去した。離宮は石造りの二階建てで、大公に仕えるチェリャヂによって警護されていた。ウラジーミル1世以降は、ヤロスラフ1世、スヴャトスラフ2世、フセヴォロド1世、ウラジーミル2世(ウラジーミル・モノマフ)らがベレストヴォで過ごした〔Спаса на Берестове церковь 〕。また、ウラジーミル2世がベレストヴォに家臣らを集め、『ルースカヤ・プラウダ』に新たな条項(「ウラジーミル・モノマフの法規」)を加える会議を行う〔Свердлов.М.Пространная редакция 〕など、政治・外交的行為の承認がベレストヴォから下されている。 1096年、ベレストヴォの離宮はポロヴェツ族のボニャークの攻撃によって消失した〔國本哲男『ロシア原初年代記』p251〕。1113年の、ウラジーミル・モノマフの治世期に離宮は再建され、新たに救世主変容教会が建てられたが、モンゴルのルーシ侵攻に際し、1240年のキエフ陥落の際に離宮、教会は破壊された。教会は再建され、拝廊など一部に12世紀のものが保たれているが、離宮は現存しない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ベレストヴェ」の詳細全文を読む
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