翻訳と辞書
Words near each other
・ フレディ・マーキュリー
・ フレディ・マーキュリー追悼コンサート
・ フレディ・マールテンス
・ フレディ・ミラー
・ フレディ・ムーラー
・ フレディ・モンテーロ
・ フレディ・ヤング
・ フレディ・リトル
・ フレディ・リム
・ フレディ・リンコン
フレディ・リンドストロム
・ フレディ・ロドリゲス
・ フレディ・ロビンソン
・ フレディ・ローチ
・ フレディー
・ フレディー VS ジェイソン
・ フレディーVSジェイソン
・ フレディーキング
・ フレディー・アギラ
・ フレディー・アドゥ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フレディ・リンドストロム : ウィキペディア日本語版
フレディ・リンドストロム

フレディ・リンドストロム(Frederick Charles "Freddie" Lindstrom、 1905年11月21日 - 1981年10月4日)は、1920 - 1930年代に活躍したアメリカメジャーリーグの選手。ポジションは三塁手外野手イリノイ州シカゴ生まれ。右投げ右打ち。
== 経歴 ==
リンドストロムは16歳の時にシカゴ・カブスとニューヨーク・ジャイアンツのトライアウトに参加、その後当時通っていた学校を中退してマイナーリーグのトレド・マッドヘンズに在籍していた。1924年、トレドのチームメイトだったビル・テリーとともに18歳でニューヨーク・ジャイアンツに入団、52試合に出場する。同年ジャイアンツがワールドシリーズに駒を進め、リンドストロムはワールドシリーズ史上最も若い出場選手となった。
入団3年目からコンスタントに3割を打てる打者に成長、1928年にリーグ最多の231安打と打率.358、107打点を記録し、その年のMVP候補となった。1930年にもシーズン231安打、106打点、打率.379と活躍するが、この年は同僚のビル・テリーが4割打者となった年で、打撃タイトルには手が届かなかった。
1932年のオフにトレードでパイレーツに移籍。パイレーツでは外野手を勤めていた。2年後の1935年にはカブスへ移り、自身2度目のワールドシリーズ出場を果たした。翌1936年シーズンを最後に現役を引退。引退時はまだ31歳の若さだった。
1976年にベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出した。1981年にシカゴにて死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレディ・リンドストロム」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.