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フランシスコ・パチェーコ : ウィキペディア日本語版 | フランシスコ・パチェーコ
フランシスコ・パチェーコ・デル・リオ(Francisco Pacheco del Río、1564年 - 1644年)は、スペインの画家、美術研究家。『絵画芸術論』の著者であり、これはスペインの美術研究における重要な史料となっている。ディエゴ・ベラスケスの師であり義父でもある。 == 生涯 ==
1610年12月1日、ベラスケスがパチェーコの工房に入門するも、パチェーコは旅行中で不在であったと言われている〔吉田秀和、大高保二郎、96頁。〕。翌年9月22日、ベラスケスの父フアン・ロドリーゲス・デ・シルバとパチェーコとの間で徒弟契約が交わされる〔吉田秀和、大高保二郎、96頁。〕。1617年3月14日、フアン・デ・ウセーダと共にベラスケスに「聖像画家」の資格試験を課し、ベラスケスはこれに合格した〔吉田秀和、大高保二郎、96頁。〕。翌年4月23日娘であるフアナがベラスケスと結婚した〔吉田秀和、大高保二郎、96頁。〕。1623年、オリバーレス伯より旅費50ドゥカードを得たベラスケスは、パチェーコと弟子であるパレーハと共にマドリードを旅行する。1625年、ベラスケスの描いた『フェリペ四世の騎馬像』〔作品は紛失しており、現存していない。〕がマヨール通りで公開された際に、ソネットを書いて賛美した〔吉田秀和、大高保二郎、96頁。〕。1638年に『絵画論:その古代性と偉大』を脱稿した〔木下亮、田辺幹之助、渡邉晋輔、2002年、241頁。〕。
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