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バーラージー・バージー・ラーオ : ウィキペディア日本語版
バーラージー・バージー・ラーオ

バーラージー・バージー・ラーオマラーティー語:बाळाजी श्रीमंत बाजीराव, 英語:Balaji Baji Rao, 1720年12月8日 - 1761年6月23日)は、インドデカン地方マラーター王国の世襲における第3代代宰相(ペーシュワー1740年 - 1761年)。マラーター同盟の盟主でもある。ナーナー・サーヒブ(Nana Sahib)とも呼ばれる。
彼の治世、マラーター同盟ラージャスターン地方ベンガル地方にまで進撃し、その領土は四方に広がって最大となり、北はデリーから南はトゥンガバドラー川までの広大な版図を有していた〔チャンドラ『近代インドの歴史』、p32〕。


==生涯==

===宰相就任===
1740年4月28日、父である宰相バージー・ラーオが死亡したのち、若干19歳の息子であるバーラージー・バージー・ラーオが事実上世襲する形で、マラーター王国の宰相となった〔PESHWA (Prime Ministers) 〕〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p216〕。
この世襲に関しては、かつてバーラージー・バージー・ラーオの父バージー・ラーオが祖父バーラージー・ヴィシュヴァナートから宰相位を世襲したときと同様、マラーター王シャーフーに認められていた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p216〕〔チャンドラ『近代インドの歴史』、p32〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バーラージー・バージー・ラーオ」の詳細全文を読む



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