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ハビエル・ソラーナ : ウィキペディア日本語版
ハビエル・ソラナ

フランシスコ・ハビエル・ソラーナ・デ・マダリアーガ(Francisco Javier Solana de Madariaga、1942年7月14日 - )は、スペインマドリード出身の政治家物理学者。かつてはフェリーペ・ゴンサーレス政権下で閣僚を務め、その後1995年から1999年までは北大西洋条約機構事務総長、1999年から2009年までは欧州連合共通外交・安全保障政策上級代表欧州連合理事会ならびに西欧同盟の事務総長を歴任した。
==人物==
ソラナの家柄はスペインでも名門とされており、大おじには国際連盟軍縮部会のスペイン全権を務め、外交官や作家であり、欧州における差別撤廃を唱えたサルバドール・デ・マダリアーガ、その妻(大おば)はスコットランド文学者、経済史学者のコンスタンス・アーチボルド・デ・マダリアーガで、その娘にはフランシス・ベーコンを研究したニエベス・デ・マダリアーガ・マシューズがいる。父は化学者で、兄のルイス・ソラナフランシスコ・フランコ独裁体制に対して反対運動を展開し、投獄された経験を持つ。ルイスはその後、スペイン国内の通信業界で活躍し、日米欧委員会において初の社会党員の委員となった。
ソラナは厳格なカトリック中等学校であるエル・ピラール校 (Colegio del Pilar) で学び、マドリード・コンプルテンセ大学 (UCM) に進学する。コンプルテンセ大学の学生だった1963年、大学当局から大学革新週間と称する反体制運動フォーラムの設立認可を受ける。1964年には極秘でスペイン社会労働党 (PSOE) に入党した。当時の社会労働党は1939年スペイン内戦後以降、フランコ政権下で非合法とされていた。また同じ年にソラナはコンプルテンセ大学を卒業、その後1年間はスペイン科学研究高等会議 (Consejo Superior de Investigaciones Científicas, CSIC) やイギリスで研究活動を続けた。
1965年にはアメリカ合衆国へ渡り、6年間フルブライト・プログラムを活用してシカゴ大学カリフォルニア大学サンディエゴ校バージニア大学大学院と、各地の大学に留学した。特にバージニア大学大学院では、当時教授だったニコラス・カブレラのもとで助手となり、物理学の教鞭をとるその一方で独自研究を続けていた。また、ベトナム戦争抗議運動にも加わり、留学生協会の代表を務めた。1971年、バージニア大学から論文 ''Theory of the Elementary Excitation Spectrum of Superfluid Helium: the Roton Lifetime'' で物理学博士号を取得し、予定を1年間延長してアメリカでの研究を続けた。その後スペインに戻り、マドリード自治大学 (Universidad Autónoma de Madrid, UAM) で固体物理学の講師、1975年にコンプルテンセ大学教授となる。この間に30本以上の論文を手がける。その後1990年代初頭までに数多くの Ph.D. を受けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハビエル・ソラナ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Javier Solana 」があります。



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