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スヴォボドヌイ : ウィキペディア日本語版
スヴォボードヌイ

スヴォボードヌイ(スヴォボードヌィイ、スボボドヌイ、、ラテン文字表記の例: )はロシア極東のアムール州中部にある都市。
州都ブラゴヴェシチェンスクからは北へ167km。アムール川の大きな支流、ゼヤ川中流の右岸にあり、シベリア鉄道がここでゼヤ川を渡っている。スヴォボドネンスキー地区の行政中心地だが、スヴォボードヌイ市自体は地区に属さず州の直轄下にある。
人口は5万9286人(2009年推計)。2002年国勢調査で6万3889人、1979年ソ連国勢調査では7万4500人、1989年ソ連国勢調査では8万人を数えたが、ソ連崩壊後人口が減った。
== 歴史 ==
1910年、「アムール鉄道」のゼヤ川鉄橋建設工事のため、スラジェフカ()村の近くに労働者の宅地が建てられた。当初のシベリア鉄道は、の領土である満州を横断する東清鉄道経由でウラジオストクに向かう経路を通っていた。これに対して1906年、清国領土を通らずロシア領内だけを通る支線として、アムール北岸を通りハバロフスクへ向かう「アムール鉄道」が建設されることになった。これが現在のシベリア鉄道の本線となっている。
この労働者集落は、ゼヤ川を渡る地点に駅および都市を作ろうという計画の最初の一歩となっていた。土地の整備は進み、1912年には市の地位を与えられ、ロシア皇太子アレクセイ・ニコラエヴィチにちなんでアレクセーエフスクと名付けられた。1916年にアムール鉄道は開通している。1917年二月革命で帝政が倒されると、同年4月、市民はロシア語で「自由」を意味するスヴォボードヌイに市名を改める決定を行った。
1921年に独立軍がロシアの赤軍とここで衝突し壊滅した(自由市惨変)。
ソ連成立後、ヨシフ・スターリンの時代には、スヴォボードヌイにバムラグ(BAMLag)という名のグラグ(強制収容所)が建てられた。この収容所は政治犯などを第二のシベリア横断鉄道であるバイカル・アムール鉄道(バム鉄道)の建設に動員するという役割を担っていた。1935年10月には19万0300人の収容者を抱える、ソ連でも最大級のグラグに拡大し、多くの収容者がここで命を落とした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Svobodny, Amur Oblast 」があります。



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