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ジョゼフ・ブルッサール : ウィキペディア日本語版 | ジョゼフ・ブルッサール
ジョゼフ・ブルッサール(Joseph Broussard)、またはボーソレイユ(Beausoleil)は、アカディア、後のノバスコシアとニューブランズウィックにおける住民の指導者である。アカディア人への強制追放に対してレジスタンス運動を展開し、1765年、アカディアがイギリスに敗れてからは、最終的に、現在のアメリカ合衆国のルイジアナ南部に、ルイジアナへの最初のアカディア移民を連れて移住した。ジョゼフ・ゴーレ・ブルッサール(Joseph Gaurhept Broussard)と表記されることもあるが、恐らくは書き写しの際の誤りである。 ==ジョージ王戦争まで== ブルッサールは1702年にポートロワイヤルで生まれた。人生の大部分をル・クラン(現在のストーニークリーク)、アルバートカウンティ、プティクーディアク川の流域で過ごし、妻のアニエスとの間に、11人の子供がいた。ラル神父戦争時には、1724年のアナポリスロイヤルへの襲撃に参加した〔James Laxer. The Acadians: In Search of a homeland. Anchor Canada Press. p. 103〕。 ジョージ王戦争の時期には、ジャン=ルイ・ル・ルートル神父の主導のもと、イギリス支配下のアカディアで積極的にレジスタンス活動を始めた。イギリスへのレジスタンス活動では、しばしばミクマク族もブルッサールの軍に加わっていた。ル・ルートルにはイギリスに対する強い反感があり、ミクマク族の布教の際にそれを吹き込んで、彼らの精神的支柱となっていた〔大矢・ロングフェロー、185頁。〕。1747年、グランプレの戦いに参戦したが、後にそのことへの責任を問われた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョゼフ・ブルッサール」の詳細全文を読む
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