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サルノキング事件 : ウィキペディア日本語版
サルノキング事件[さるのきんぐじけん]

サルノキング事件(サルノキングじけん)は、1982年3月28日中央競馬中山競馬場で開催された重賞競走・第31回スプリングステークスにおいて起こった、八百長(不正敗退)の疑惑にまつわる騒動である。
== 概要 ==
同レースの1番人気はサルノキング、2番人気はハギノカムイオーであった。
レースではサルノキングが出走馬11頭中の最後方、しかも10番手の馬から更に20馬身ほど離れた後方の位置からレースを進めた。逃げるハギノカムイオーにとって理想的なスローペースとなったため、そのまま楽々と逃げ切って優勝した。一方、サルノキングは向こう正面からロングスパートを仕掛けたが、レース中に骨折した影響もあってか、先頭には追いつけず4着に敗れた。
当時、日隅広吉とともにハギノカムイオーを共有していた中村和夫はサルノキングを共有する馬主でもあり、本賞金の足りないハギノカムイオーに皐月賞の出走権を確保させるため、サルノキングを故意に後方からレースを進ませ負けさせた、という疑念がマスコミやファン、関東の調教師から巻き起こることとなった〔田原成貴『八百長』(ベストセラーズ) 〕。
サルノキングに騎乗していた田原成貴は「これは決して八百長ではない」という弁明に終始した。実際、関西圏におけるサルノキングのレーススタイルは後方待機策であり、関東圏に進出した共同通信杯弥生賞では引っ掛かって先行する競馬をしていた。そのため、関東圏の競馬ファンはサルノキングは「先行馬」という印象を強くした。当時の競馬メディアの情報網は現代とは違い、ターフビジョンなどで関東と関西の両レースを間近で見ることができないなど、東西の情報が競馬ファンの間で錯綜することは日常茶飯事で、関東圏のファンが持つサルノキングの印象と関西圏のファンが持つサルノキングの印象が違うのは当然といえば当然であった。
田原と中村好夫管理調教師は、引っ掛かって先行する競馬をしていたサルノキングを見て「このまま、引っ掛かったまま競馬をしているようではクラシックではとても戦えない」と思い、脚質を本来の後方一気の戦法に矯正すべくスプリングステークスでそれを実行した〔。ちなみにこの年の三冠レースはことごとく乱ペースとなっており、田原の懸念は的中した格好となった。後に田原は自らの著書で「向こう正面でペースが遅いと判断したため、徐々に上がるイメージでハミ圧を少し上げたところサルノキングが過剰反応し一気に引っ掛かってしまった」と説明している〔。また、田原の頭には後方待機策の末脚で関東圏のファンを「あっと言わせる」という考えもあったという。その結果が後方からの極端なレースぶりにあったとされる。言わば田原の過信が原因の一つとされるが、この件に対しては田原の所属厩舎の谷八郎や、武邦彦が擁護した。また、田原の性格を考えればそのような(ハギノカムイオーを勝たせるために後方からレースを進めるような)依頼や指示をすれば、逆に田原はハギノカムイオーに敢然と攻めかかるだろうという見方もあり、関係者の間ではそれほど疑念は発生しなかった。しかし、そういう事情を知らないファンからの疑念は晴れることがなく、田原はその後長年にわたって関東圏の競馬場においてサルノキング事件に関する野次や罵声を浴びることとなった。
一方で、スプリングステークスの数日前にハギノカムイオーの伊藤修司厩舎へ取材に赴いたある作家が「オーナーの命令でサルノキングを後方にさげるレースをする」という会話がそこでなされているのを偶然聞いてしまったという話も伝わっている〔渡辺敬一郎『日本競馬 闇の戦後史』(講談社) 〕。また、作家の安部譲二は、自著『馬主だけに儲けさせるな』〔安部譲二『馬主だけに儲けさせるな』 (ハルキ文庫) 144ページ〕の中で、このレースで3着に終わった中島啓之騎乗のアズマハンターが四角手前で捲ってきた際、田原がサルノキングの馬体をアズマハンターの横腹に当てて外に膨れさせた(ように見えた)ことを挙げ、馬主が同じだったハギノカムイオーに勝たせるため、敢えてあのような騎乗をしたと論じている。
サルノキングはこのレース中に重度の骨折を発症したため、クラシックに出ることなくこのレースを最後に引退している。この骨折に関しても嘘の情報ではないかとマスコミは競馬会側に詰め寄り、競馬会は前代未聞のレントゲン写真の公表に踏み切る。しかしレントゲン写真の公表が予定されていた時間より3時間遅れたことによりさらに疑念を深める結果になってしまった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サルノキング事件」の詳細全文を読む



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