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サラエボ事件 : ウィキペディア日本語版
サラエボ事件[さらえぼじけん]

サラエボ事件(サラエボじけん、サラエヴォ事件サライェヴォ事件)とは、1914年6月28日オーストリア=ハンガリー帝国皇帝国王の継承者フランツ・フェルディナント夫妻が、サラエボ(当時オーストリア領、現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)を視察中、ボスニア出身のの青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された事件。この事件がきっかけとなって、第一次世界大戦が開戦した。
== 背景 ==
ボスニア・ヘルツェゴビナは1878年ベルリン会議でオーストリアが占領し、その後1908年には正式にオーストリア領に併合されていた。多くのボスニア住民、特にボスニアのセルビア人住民はこれに反発し、セルビアや他の南スラヴ諸国への統合を望んでいた。
オーストリア当局はセルビアにとって重要な祝日である聖ヴィトゥスの日()にあたる6月28日をフェルディナント大公のサラエヴォ訪問の当日に設定した。この日はまた、1389年にセルビアがオスマン帝国に敗北を喫したコソボの戦いの行われた日でもあったため、皇太子夫妻の訪問はセルビア人の神経を逆撫でする結果ともなった。
また、6月28日は大公夫妻の14回目の結婚記念日でもあった。大公の妃ゾフィーはボヘミアの伯爵家出身の皇族妃付女官であり、ハプスブルク家は彼女を皇族の一員とは認めていなかった。
なお、オーストリア政府には事件前に黒手組に関する情報が届けられていたとされるが、当局の対応は極めて杜撰なもので、黒手組の動きを察知していたセルビア政府も、彼らを国境付近で逮捕する命令も出していたが、当の国境警備員が黒手組のメンバーだったために逮捕に失敗してしまった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サラエボ事件」の詳細全文を読む



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