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はやて海運 : ウィキペディア日本語版
はやて (海運業)

株式会社はやて会社概要 - 株式会社はやて〕〔「ありがとう」懸垂幕設置/伊良部商工会青年部 - 宮古毎日新聞(2014年12月10日付)〕は、沖縄県宮古島市伊良部に本社を置く海運会社である。宮古島周辺の遊覧事業を行っている。
2015年1月31日伊良部大橋開通までは、平良港(宮古島)と佐良浜港伊良部島)間の一般旅客定期航路(旅客船フェリー)を運航していた。この航路は宮古フェリーとのダブルトラックであった。
== 概要 ==
旧社名は合資会社はやて海運(はやてかいうん)である。
同じ航路を営業する宮古フェリーによると、伊良部島と宮古島の間には、明治時代時代末期に渡口港からの航路に「バトンミ丸」、佐良浜港からの航路に「キイナカ丸」の2隻の帆船が就航した。1920年頃には渡口航路に発動機船「ガラサ丸」が就航。2、3年後には佐良浜航路にも発動機船が就航した〔伊良部航路 1月31日最終運航/「宮古フェリー」「はやて」 宮古毎日新聞、2014年12月5日〕。第二次世界大戦後には、米軍から払い下げられた船舶が就航。その後、佐良浜航路に「第3旭丸」、「雄勝丸」、長山港からの航路に「勝幸丸」が就航し競争が過熱した〔が、その後は当社と最終日まで同じ航路を運航した宮古フェリーと共に伊良部航路の定期船運航を行ってきた。
2015年1月31日に宮古島と伊良部島の間に伊良部大橋が開通し、本航路は同日をもって廃止された〔伊良部航路 来月に廃止 大橋開通で歴史に幕 - 琉球新報(2014年12月13日付)〕〔「今までありがとう」 伊良部島民、フェリー廃止惜しむ 〕。
なお、航路廃止後も会社は存続しており、新たな事業を行う予定とされていた〔伊良部航路 1月31日最終運航/「宮古フェリー」「はやて」 - 宮古毎日新聞(2014年12月5日付)〕が、その後、かつて七尾湾(石川県)などで運航されていたクルーズ船「モンブラン」(619総トン、最大定員300名)を購入し、2015年4月以降に八重干瀬ツアーなどの遊覧船事業を行う計画を進めていることが報道された〔はやてクルーズ船運航へ/船底に海中展望ラウンジ/八重干瀬周遊海婚など計画/4月スタート目指す - 宮古毎日新聞(2015年2月4日付、同月11日閲覧)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「はやて (海運業)」の詳細全文を読む



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