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1820年アメリカ合衆国大統領選挙(1820ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1820)は、アメリカ合衆国の大統領選挙の中で実質的に対抗馬がないままに1人の候補者が選ばれたことでは3度目で、かつ最後の選挙である(その前の2回とは1789年と1792年で、ともにジョージ・ワシントンが選ばれた)。 共に現職のジェームズ・モンロー大統領とダニエル・D・トンプキンス副大統領が、特に選挙運動もせずに再選された。 == 背景 == 単一政党の政治が続いたにも拘らず、1820年の選挙期間には重要な問題が発生した。1819年の恐慌に続いて国中に不況が広がり、新しい領土に奴隷制が拡張されるという極めて重要な問題が中心課題となった。それにも拘らず、モンローはその再選にあたって反対党もなく、対立候補もいなかった。 当時の巷間に流布した話では、ニューハンプシャー州の1人の選挙人がジョン・クィンシー・アダムズに1票を投じ、ワシントンを唯一全会一致で選ばれた大統領のままにしておこうとしたということであった。実際に、ニューハンプシャー州の選挙人ウィリアム・プラマーは単純にモンローが実効性のない大統領であり2期目に値しないと感じていた。 マサチューセッツ州は4年前の選挙では22人の選挙人票を割り当てられていたが、1820年のときは15票に過ぎなかった。この影響力の減少は、その年のミズーリ妥協によって長い間州内にあったメイン地区が、加盟が保留されていた奴隷州であるミズーリ州とのバランスのために、自由州として分離し州に昇格したためであった。 この選挙ではミシシッピ州、イリノイ州、アラバマ州と上記ミズーリ州およびメイン州が新たに加わった。次の新州が加わるのはおよそ15年後である 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1820年アメリカ合衆国大統領選挙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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