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根本通明[ねもと みちあき] 根本 通明(ねもと みちあき〔『日本近現代人物履歴事典』393頁。〕 / つうめい、文政5年2月15日(1822年4月6日) - 明治39年(1906年)10月3日〔)は幕末・明治期の儒学者、漢学者。出羽国仙北郡刈和野村(現秋田県大仙市)生まれ。藩校明徳館教授・学長。東京帝国大学教授。帝国学士院会員。秋田県人として初の博士号を授与された。弟子に九鬼盛隆がいる。 == 人物 ==
=== 概観 === 根本通明は文政5年(1822年)出羽国刈和野村(現秋田県大仙市刈和野)に生まれた。藩校明徳館で学び、のち教授する側となり、明徳館学長までつとめる。武士としても、戊辰戦争において総軍陣場奉行として軍功第一等賞となる。のち上京し、その卓越した学問の力で、漢学者としての地位を確立していく。明治6年(1873年)に宮内省御用掛となる。明治19年(1886年)には、明治天皇御講書始にて御進講という名誉ある役目を果たした。斯文学会教授、帝国大学文科大学講師、東京学士会院会員、東京帝国大学教授となり、明治32年(1899年)には、秋田県で初めて博士号を授与されている。 明治39年(1906年)、腎臓萎縮のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)221頁〕。
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