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関寛斎 : ミニ英和和英辞書
関寛斎[せき かんさい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 

関寛斎 : ウィキペディア日本語版
関寛斎[せき かんさい]

関 寛斎(せき かんさい、文政13年2月18日1830年3月12日) - 大正元年(1912年10月15日)は、幕末から明治時代の蘭方医。
== 経歴 ==
1830年(文政13年)、上総国(現在の千葉県東金市)東中の農家の子として生まれる。養父の儒家関俊輔に薫陶され、長じて佐倉順天堂に入り、佐藤泰然に蘭医学を学び、26歳の時銚子で開業。豪商濱口梧陵の支援で長崎に遊学、オランダ人医師ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトに最新の医学を学び、銚子を去って徳島藩の典医となる。戊辰役には官軍の奥羽出張病院長として、敵味方の別なく治療に当る。信ずるところあって徳島に帰り、一町医者として庶民の診療、種痘奉仕などに尽力し、「関大明神」と慕われる。
1902年明治35年)、72歳にして一念発起し、原野だった北海道陸別町の開拓事業に全財産を投入し、広大な関牧場を拓く。のちにこの土地を開放し、自作農創設を志すが果たせず、1912年(大正元年)82歳にして服毒により自らの命を絶つ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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