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辰野保 : ミニ英和和英辞書
辰野保[たつの たもつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たつ]
 【名詞】 1. fifth sign of Chinese zodiac (The Dragon, 7a.m.-9a.m., east-southeast, March) 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 

辰野保 : ウィキペディア日本語版
辰野保[たつの たもつ]
辰野 保(たつの たもつ、明治24年(1891年1月10日〔帝国秘密探偵社編『第三版 大衆人事録 タ-ワ之部』1930年、タの部149頁。〕 - 昭和13年(1938年10月17日〔『日外アソシエーツ whoplus』「辰野 保(タツノ タモツ,弁護士,体協理事)」の項。〕)は、日本陸上競技選手、弁護士政治家
父は建築家の辰野金吾、兄はフランス文学者の辰野隆
== 経歴 ==
1891年東京市赤坂に生まれる。旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部に入学。東大在学時の1913年(大正2年)、第1回全国陸上大会において砲丸投げで9m00の記録を打ち立てて優勝する。父・金吾、兄・隆ともども相撲好きで、保はとくに強く、一高時代には出羽海部屋に通っていた〔~辰野金吾と辰野隆 唐津市役所、2015年〕。
1917年に東大法学部を卒業後、岩田宙造の法律事務所に入って実務研修する。同年、中山瑞彦の娘千代子と結婚〔『読売新聞』1917年5月31日、朝刊4頁「婦人付録 新郎新婦」。〕。翌1918年に独立して弁護士を開業し、法律事務および特許関係の仕事に従事する。
1920年アントワープオリンピックでは役員として選手団に同行した。1933年東京市会議員選挙に渋谷区から政友会の候補として出馬して当選、一期務めた〔『東京朝日新聞』1933年3月18日、夕刊 1頁「開票結果」。〕。また大日本体育協会理事、大日本相撲協会理事、全日本アマチュア拳闘連盟会長を歴任するとともに、1940年東京オリンピック招致委員会委員長として東京への大会誘致に尽力した〔〕〔『東京朝日新聞』1938年10月19日、夕刊2頁「辰野保氏が死去」〕。1938年、東京目黒の自宅で死去。
== 著作 ==
*辰野隆共著『スポオツ随筆』大畑書店、1932年。
== 脚注 ==






抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「辰野保」の詳細全文を読む




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