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諸川宿 : ミニ英和和英辞書
諸川宿[もろかわしゅく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しょ]
  1. (pref) various 2. many 3. several 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
宿 : [やど]
 【名詞】 1. inn 2. lodging 

諸川宿 : ウィキペディア日本語版
諸川宿[もろかわしゅく]
諸川宿(もろかわしゅく、もろかわじゅく)は、江戸時代日光東街道(関宿通多功道)における下総国宿場。現在は茨城県古河市諸川に相当する。
日光東街道の起点となる水戸街道小金宿我孫子宿間の追分から数えて7番目の宿場である。
== 歴史 ==
江戸時代以前の諸川は「茂呂河」とも呼ばれ、結城氏庶流の豪族・山川氏の所領であったと考えられている。〔円福寺所蔵「山川景貞文書」(康生3年・1457年頃)、および、 山川晴重知行目録(天正18年・1590年)より〕 〔『三和町史 通史編 原始・古代・中世』 361-364頁(茂呂河と山川氏)〕
慶長5年(1600年)、徳川家康会津出兵では、山内一豊が諸川に宿陣しており(『山内家史料一豊公記』)、このころには町屋が整備されていたことが分かる。このとき、山内一豊はから大坂石田三成方の情勢を知らせる「笠の緒の密書」を受け取り、下野小山に在陣中の徳川家康に届けることで、家康の信頼を得た。その後の立身のきっかけとなった場所でもある。〔『三和町史 通史編 近世』 39-41頁(小山会議)〕
宿駅の成立は、元和5年(1619年)頃と考えられている〔『三和町史 通史編 近世』 201頁(諸川・仁連・谷貝町(宿)の成立)〕。宿駅の管理は主に幕府が担った。ただし、寛永16年(1639年)から18年までは下野国壬生藩領、寛永18年から宝暦元年(1651年)までは旗本領〔三和町史 通史編 近世』 82頁(旗本三浦氏の改易・壬生藩主の分家)〕 であった。〔『日光東街道 諸川・仁連・谷貝町~景観いま、むかし~』 21-35頁(日光東街道 諸川町のいま、むかし)〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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