翻訳と辞書
Words near each other
・ 西征 (太平天国)
・ 西征日記
・ 西律
・ 西後町
・ 西御坊駅
・ 西御料駅
・ 西御門 (佐倉市)
・ 西御門 (鎌倉市)
・ 西徳二郎
・ 西徳寺
西徳次郎
・ 西心斎橋
・ 西志布志村
・ 西志方村
・ 西志津
・ 西志津中学校
・ 西志津小学校
・ 西志賀村
・ 西志賀町
・ 西志賀郷


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

西徳次郎 : ミニ英和和英辞書
西徳次郎[にし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

西徳次郎 ( リダイレクト:西徳二郎 ) : ウィキペディア日本語版
西徳二郎[にし とくじろう]

西 徳二郎(にし とくじろう、1847年9月4日弘化4年7月25日) - 1912年3月13日)は、日本外交官枢密顧問官薩摩藩出身の男爵
若年のころはロシアの帝都サンクトペテルブルクに遊学し、その後はロシア・中国()両勢力圏に挟まれる中央アジアを調査した経歴を持つ。19世紀末に外務大臣を務め、日本とロシアの韓国問題を調停したことで知られる。子に、乗馬の選手として1932年のロサンゼルスオリンピックで活躍し、のち太平洋戦争末期の硫黄島の戦いで戦没した「バロン西」こと西竹一陸軍大佐がいる。
==経歴==

*1847年 父・西藤左衛門、母・加納ヒロの次男として生まれる。幼名を常二郎。
*1870年明治3年ロシア ペテルブルク大学に留学。
*1873年-1880年 中央アジアを調査のために踏破する。ブハラ、サマルカンド西トルキスタンタシケントウイグル新疆を調査した。
*1874年 フランス公使館書記官、帰国後は太政官大書記官。
*1886年6月 駐ロシア公使を拝命(兼スウェーデン、ノルウェー公使)。
*1896年8月 駐ロシア公使離任。
*1897年3月 枢密顧問官任命。
*1897年(明治30年)11月6日-1898年(明治31年)1月12日 第2次松方正義内閣外務大臣就任。
*1898年(明治31年)1月12日-1898年(明治31年)6月30日 第3次伊藤博文内閣外務大臣就任。
*1898年(明治31年)4月25日 第3次日露協定(西・ローゼン協定)。
*1899年10月 清国駐在公使を拝命。1900年の義和団の乱(北清事変)では北京に籠城。
*1899年(明治32年)12月27日、勲一等旭日大綬章受章。
*1901年1月、駐清公使離任。
*1901年11月、枢密顧問官。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西徳二郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.