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西園寺賞季 : ミニ英和和英辞書
西園寺賞季[さいおんじ よしすえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [しょう]
  1. (n,n-suf) prize 2. award 
: [き]
 【名詞】 1. season 2. season word or phrase (in haiku) 

西園寺賞季 : ウィキペディア日本語版
西園寺賞季[さいおんじ よしすえ]
西園寺賞季(さいおんじ よしすえ、寛保3年8月12日1743年9月29日) - 寛政11年12月22日1800年1月16日))は、江戸時代中期の公卿桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)・後桃園天皇(118代)・光格天皇(119代)の四帝にわたり仕え、官位従一位右大臣まで昇る。父に内大臣西園寺公晃。母は内大臣今出川伊季の娘。妻は広幡長忠の娘(近衛内前猶子)。実子に従五位上西園寺公兼左近衛少将西園寺公氏、娘(権中納言野宮定業室)、宝珠院(長州藩毛利匡芳室)がいる。養子左近衛中将西園寺実韶一条輝良の子)、権中納言西園寺寛季二条治孝の子)がいる。
寛延元年(1748年)に叙爵。以降清華家当主として速いスピードで累進して、宝暦6年(1756年)に従三位に達して公卿に列した。その後、権中納言権大納言を経て、明和元年(1764年)には大歌所別当や踏歌節会外弁に補された。明和5年(1768年)には皇太子英仁親王(のちの後桃園天皇)の春宮大夫となるも、明和7年(1770年)の親王の践祚とともに辞す。安永4年(1775年内大臣に任じられた。寛政2年(1790年従一位に叙される。寛政8年(1796年)に右大臣に任じられるも辞した。
男子には実子の公兼、公氏と養子の実韶の三人がいたが、相次いで先立たれている。西園寺家の相続人がいなくなったために、左大臣二条治孝の三男の寛季を養子に迎えて西園寺家を相続させた。
==関連項目==

* 西園寺家



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西園寺賞季」の詳細全文を読む




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