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東亜研究所 : ミニ英和和英辞書
東亜研究所[とうあけんきゅうじょ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東亜 : [とうあ]
 【名詞】 1. East Asia 2. the Orient 
研究 : [けんきゅう]
  1. (n,vs) study 2. research 3. investigation 
研究所 : [けんきゅうしょ, けんきゅうじょ]
 【名詞】 1. research establishment (institute, laboratory, etc.) 
: [ところ, どころ]
 (suf) place

東亜研究所 : ウィキペディア日本語版
東亜研究所[とうあけんきゅうじょ]
東亜研究所(とうあけんきゅうじょ)は、1938年(昭和13年)9月、企画院の外郭団体として設立され、東京都千代田区駿河台にて、来たる英米との戦争遂行に必須となる情報収集活動の一環として、日本国内の若き俊秀を結集させ、オープン・ソース・インテリジェンスを担当した大日本帝国の国策調査・研究機関。大東亜戦争太平洋戦争)後、規模を縮小した。略称は「東研」(とうけん)。
==概要==
企画院管轄の財団法人として1938年9月1日に設立され、総裁には近衛文麿、副総裁には大蔵公望満鉄理事、貴族院議員)、常務理事に唐沢俊樹らが就任したが、事実上の所長として運営を切り回していたのは大蔵であった。人文社会自然科学の総合的視点に立ち、東アジア全般の地域研究に加え、ソ連・南方(東南アジア)・中近東など、当時の日本の地域研究においてほとんど手つかずだった諸地域の研究を進め、日中戦争支那事変)の遂行および、これらの地域に対する国策の樹立に貢献することが期待された。
1940年(昭和15年)以降、満鉄調査部と共同で、中国社会に対する最初の総合的現地調査である「中国農村慣行調査」(華北農村慣行調査)を行ったことで知られている。太平洋戦争大東亜戦争)期の南方占領地軍政においては、第16軍ジャワ軍政監部)のもとで柘植秀臣を班長として旧蘭印インドネシア)のジャワ占領地における調査活動を担当した。
所員としては講座派経済学者山田盛太郎など、日本内地の言論弾圧により活動の場を失った左派リベラル派の知識人が多数採用されており(そのせいか企画院事件で検挙された所員もいる)、より若年の世代では内田義彦水田洋など、第二次世界大戦後の社会科学研究に学問貢献した高名な学者を多数輩出した。
また、敗戦後、新政府への奉職、貿易会社・商社勤務、新聞記者など実務家として活躍した者が数多くいる。
1945年(昭和20年)8月の敗戦にもかかわらず東研はしばらく存続し、戦後も資料収集を継続し、敗戦時の混乱で政府から正式な解散認可も出ないまま1946年(昭和21年)3月3日(正確な月日は不明)に解散、その所蔵資料と土地資産は財団法人政治経済研究所に継承された。その後、主に、都内・駿河台近隣の旧制大学に所属する学者の論考を発表する場を提供してきた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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