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拉孟・騰越の戦い : ミニ英和和英辞書
拉孟・騰越の戦い[らもう とうえつのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

拉孟・騰越の戦い : ウィキペディア日本語版
拉孟・騰越の戦い[らもう とうえつのたたかい]

拉孟・騰越の戦い(らもう・とうえつのたたかい)は、1944年6月2日から1944年9月14日まで中国雲南省ビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある拉孟(保山市竜陵県)・騰越(同市騰衝市)地区で行われた、日本軍と中国・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘のことを言う。日本の部隊は援蒋ルートの遮断のために派遣された小規模なもので、進出した当初の1942年頃は中国軍に対して優位に立っていたが、援蒋ルート遮断後も空輸によって中国軍への支援が継続されたため、連合軍の指導によって近代的な兵力を身につけた中国軍が1944年より反撃に転じ、数に劣る日本軍は圧倒された。日本軍は補給路を断たれ孤立し、撤退命令も出ず、また救援部隊も送られなかったため、拉孟守備隊および騰越守備隊は最終的に玉砕した。硫黄島などの孤島において玉砕したケースは多いが、この戦いは大陸において玉砕した珍しいケースとして知られる。
== 経緯 ==

*1942年5月5日 第56師団坂口支隊(歩兵団長坂口静夫少将)、拉孟を占領。同師団の第113連隊が警備につく。中国軍は日本軍の追撃を避けるため、援蒋ルートの一部である恵通橋を自ら爆破し、退却する。
*1942年5月10日 第56師団、騰越を占領。同師団の第148連隊が警備につく
*1942年11月末 南方軍総司令官寺内寿一元帥、拉孟を視察
*1942年末 女流作家水木洋子が拉孟へレポ取材に来る
*1943年春 日本放送協会から派遣された慰問団が拉孟を訪問
*1943年3月27日 ビルマ方面軍創設。新たに1コ師団(第31師団)を増強
*1943年10月30日 第18師団フーコン谷地において雲南遠征軍の攻撃を受ける(~1944年6月)
*1944年初頭 拉孟に慰安所ができる
*1944年1月30日 ビルマ方面軍隷下に第28軍が新設される
*1944年2月 水上源蔵少将が(龍)の歩兵団長に任命されて、騰越に派遣。その後まもなく、水上はミイトキーナに派遣され同地で自刃
*1944年3月 雲南遠征軍の一部が拉孟北方に進出する。
*1944年3月8日 ビルマ方面軍隷下の第15軍インパール作戦開始
*1944年4月8日 ビルマ方面軍隷下に第33軍が新設される
*1944年4月10日 蒋介石、雲南遠征軍の攻勢作戦を決断
*1944年4月29日 第33軍、メイミョー(軍の補給基地であるマンダレーより東、戦後Pyin U Lwinへ改名)に移動。混成24旅団(武兵団)、第53師団、第33軍に配属
*1944年4月下旬 衛立煌大将、総司令部を楚雄から保山へ移動
*1944年5月10日 チンディット旅団、モール(マンダレー北部)から自主的退却
*1944年5月11日夜 雲南遠征軍反攻開始
*1944年5月13日 第53師団、モール占領
*1944年5月17日 雲南遠征軍、ミイトキーナ飛行場を奪取。始まる
*1944年6月2日 雲南遠征軍が拉孟に侵攻する
*1944年6月27日 雲南遠征軍が騰越に侵攻する

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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