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小幡光盛 : ミニ英和和英辞書
小幡光盛[おばた みつもり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

小幡光盛 : ウィキペディア日本語版
小幡光盛[おばた みつもり]

小幡 光盛(おばた みつもり、生没年不詳)は、戦国時代武将甲斐国武田氏の家臣で、足軽大将。武田家の足軽大将・小畠日浄(盛次)の子、兄に小畠虎盛がいる。通称は弥左衛門尉、山城守、晩年には下野守を称している。は光盛だが、他に貞長、虎昌、昌虎ともいう。
== 略歴 ==
父の日浄は遠江国勝間田の出身で、明応9年(1500年)に日浄は虎盛とともに甲斐国へ赴き、甲斐守護・武田信虎に仕えた。日浄は永正11年(1514年)に死去している。『甲陽軍鑑』によれば、兄の虎盛は永禄4年(1561年)に信濃国海津城長野県長野市)の城代である春日虎綱の副将として補佐し、海津城の二の丸に配置された。永禄4年(1561年)に虎盛が死去すると、虎盛の子息である小幡昌盛が跡を継ぐが、昌盛は信玄の旗本であることを望んだため、光盛が虎盛の遺領・同心を継承して海津城番を務めた。
文書上の所見は天正8(1580年)の北信国衆に関する証文に見られるのみ。
天正10年(1582年)3月、武田家が滅亡すると、派遣されてきた織田家森長可の傘下に入るが、同年6月の本能寺の変後は越後上杉景勝を頼った。当初は信濃国飯山城に配されたが、後に越後に移ったといわれ、その後の事績は不明。天正年間には光盛とともに「小幡下野守」が登場し、光盛の実子であると考えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小幡光盛」の詳細全文を読む




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