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吾平山上陵 : ミニ英和和英辞書
吾平山上陵[あいらのやまのうえのみささぎ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [われ]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山上 : [やまうえ, さんじょう]
 (n) mountain top
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [みささぎ]
 【名詞】 1. imperial mausoleum 2. Emperor's tomb 

吾平山上陵 : ウィキペディア日本語版
吾平山上陵[あいらのやまのうえのみささぎ]

吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ、あいらさんりょう)は、ウガヤフキアエズ天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊)とタマヨリビメ玉依姫)の可愛山陵高屋山上陵とともに神代三山陵の一つ〔奉祝会、1940。〕〔現地看板『吾平町観光ガイド』 2008年1月3日閲覧。〕。明治政府により1874年(明治7年)、鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を「吾平山上陵」(現・鹿児島県鹿屋市吾平町上名)に治定した。現在、宮内庁書陵部が管轄している。ただし、その後の1896年(明治29年)にも「鵜戸陵墓参考地」(鵜戸神宮背後の速日峯山上、現・宮崎県日南市宮浦)を定めている。
伝承地は他にも日本の宮崎県鹿児島県に数か所ある。
== 概略 ==
延喜式』に、「日向国吾平山上陵彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊在日向国陵戸」(は返り点)とあり、『日本書紀』に、「崩西州之宮、因葬日向」吾平山上陵」(は返り点)とある。平安時代にはすでに陵戸が無かったが、1874年(明治7年)7月10日に政府は肝属郡姶良郷上名(かんみょう)村に治定を見た〔現地看板『吾平山上陵(吾平山陵)』 吾平町、1997年(平成9年)3月修正、2008年(平成20年)1月3日閲覧。〕。しかし、鹿児島と県を接する宮崎県側からの反論が強く、1896年(明治29年)6月23日に鵜戸神宮近くの速日峯山上も伝説地と定めた(現在は参考地)。
鹿屋市吾平町の吾平山上陵は「小伊勢」ともいわれ、1935年(昭和10年)には昭和天皇が、1962年(昭和37年)には皇太子(今上天皇)・皇太子妃(皇后美智子)が参拝している。1936年(昭和11年)に建立された昭和天皇の参拝記念碑は、1938年(昭和13年)10月15日の水害(肝属川を参照)で流出したが、1990年(平成2年)に河川整備事業の最中に発見され再び建立された〔現地看板『昭和天皇行幸記念碑 土埋木について』 2008年(平成20年)1月3日閲覧。〕。山陵内には「鵜戸六社権現」があった〔『三国名勝図会』などを参照。〕が、1871年(明治4年)の災害により現在地(鹿屋市吾平総合支所⦅旧吾平町役場⦆の南隣)に遷座し、名称も鵜戸神社に改められている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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