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吉良貞義 : ミニ英和和英辞書
吉良貞義[きら さだよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りょう]
 【名詞】 1. good 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

吉良貞義 : ウィキペディア日本語版
吉良貞義[きら さだよし]

吉良 貞義(きら さだよし)は鎌倉時代末期から南北朝時代吉良氏一族の武将。西条城主。
== 生涯 ==
鎌倉幕府御家人として執権北条貞時から偏諱を受けて貞義と名乗ったようである。弘安4年(1281年)の弘安の役の際、大将として石見国に下向したと伝わる〔養寿寺本吉良系図の注による。〕。その頃の石見地頭は「三河吉良右衛門」で、その裔が羽隅氏を名乗り石見国に土着したという。
弘安8年(1285年)の霜月騒動で父満氏を亡くし、吉良荘の領地が祖父長氏に一旦返還されたため、長氏の養子となり所領を相続した。元亨3年(1323年)12月、北条高時が父貞時の十三回忌供養を行い、円覚寺法堂以下を造営したが、貞義は一族の足利貞氏斯波高経らとともに参加、砂金100両、太刀一腰を進上した。吉良氏が史料に表れるのは、霜月騒動以来この時が初めてであり、幕府への再出仕がようやく許されたと思われる。
元弘3年/正慶2年(1333年)3月、足利高氏は幕命により楠木正成らの討伐軍大将として鎌倉を出立、三河国八橋(現在の愛知県知立市)で軍議を開くが、既に幕府離反を決意していた高氏は、上杉憲房を貞義(既に入道し上総禅門と称す)の許へ使いに出し、決意を述べ貞義の意見を求めたが、貞義は「決意は誠に目出度い、むしろ決断が遅過ぎると思ったほど」と答え、高氏の考えを支持、これに自信を得た高氏は倒幕行動を開始する〔『難太平記』による。〕。続く南北朝の動乱期、老齢の貞義は吉良荘の留守を守り、康永2年(1343年)に没する。享年は不明。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉良貞義」の詳細全文を読む




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