翻訳と辞書
Words near each other
・ 吉田敏浩
・ 吉田敏雄
・ 吉田敦彦
・ 吉田敦彦 (教育学者)
・ 吉田敦彦 (曖昧さ回避)
・ 吉田敬
・ 吉田敬 (作曲家)
・ 吉田敬一
・ 吉田敬子
・ 吉田文
吉田文三郎
・ 吉田文五郎
・ 吉田文代
・ 吉田文化体育センター
・ 吉田文吾
・ 吉田文和
・ 吉田文憲
・ 吉田文昇
・ 吉田文雀
・ 吉田斎宮


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

吉田文三郎 : ミニ英和和英辞書
吉田文三郎[よしだ ぶんざろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
: [み]
  1. (num) three 

吉田文三郎 : ウィキペディア日本語版
吉田文三郎[よしだ ぶんざろう]
吉田 文三郎(よしだ ぶんざろう)は、人形浄瑠璃の人形遣い。代々墓所は大阪市中央区法善寺にある。
== 初代 ==
(生年不詳 - 宝暦10年1月19日1760年3月6日))浄瑠璃作者としても著名で初代吉田冠子の名を名乗った。
大坂の生まれ、父は吉田流の元祖の初代吉田三郎兵衛。幼名を八之助。幼少から父を陶酔し1717年に「国性爺後日合戦」の錦舎役で初舞台を踏む。
三人遣いの発案者とされ「蘆屋道満大内鑑」の安倍保名「仮名手本忠臣蔵」の由良助「義経千本桜」の狐忠信等現在に残される名作を演じ「まるで人形が生きているようだ」と評されるほどだった。
長年大坂竹本座座頭として勤めたが、太夫との衝突も多く何度も退座、1759年には一門を引き連れて一座を建設を計画中の1760年に没。
作者として『恋女房染分手綱』を三好松洛と合作。
実子に初代吉田文吾(後の2代目文三郎)、2代目文吾

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉田文三郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.