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南豆馬車鉄道 : ミニ英和和英辞書
南豆馬車鉄道[なんずばしゃてつどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
: [まめ]
  1. (n,pref) (1) beans 2. peas 3. (2) (as a prefix) miniature 4. tiny 
: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 
馬車 : [ばしゃ]
 【名詞】 1. coach 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 

南豆馬車鉄道 : ウィキペディア日本語版
南豆馬車鉄道[なんずばしゃてつどう]


南豆馬車鉄道(なんずばしゃてつどう)は、かつて静岡県に存在した馬車鉄道
== 沿革 ==
1917年7月28日に発起人小川隆太郎他35名に対し静岡県賀茂郡稲生沢村より下田町にいたる馬車軌道の敷設特許状が下付された。この馬車鉄道は稲生沢村の久原鉱業河津鉱業所(蓮台寺金山ともいう)から下田港桟橋まで金鉱石を輸送することを目的としており、株式の70%は久原鉱業が保有していた。1918年9月に開業し、鉱石輸送を主としていたが旅客輸送もしていた。路線の大半は稲生沢川に沿っていた。
1927年に昭和バス〔『静岡県鉄道物語』125頁〕が蓮台寺-下田間に定期バスを運行するようになると徐々に影響を受け1933年2月に旅客営業を休止し、1936年1月正式に廃止となり貨物輸送専用になった〔「南豆馬車鉄道沿革史」105頁〕。その後戦時下になると1943年金銀鉱山における企業整備により採掘は休止となり馬車鉄道も運行を休止した。戦後鉱山の再開とともに運行を開始したが採掘量も少ないため鉱物輸送はトラックに切り替えられ馬車鉄道はまた休止されることになった〔中川は休止していたのを知らず1951年12月に訪問したが、軌条は撤去され稲生沢川の橋台と併用軌道跡に敷石が残されているだけだったという。〕。このため会社は旅館業に進出することになり南豆鉄道興業に社名変更をしたが1954年には東海観光株式会社に株式を取得されることになり経営陣も一新された。さらに保有していた軌道敷設特許権について運輸省から再開の意思が無ければ整理するよう勧められたので1957年4月に廃止手続きが完了した。廃線敷は下田温泉会社が購入し温泉用のパイプラインが敷設されている。
* 1917年大正6年)
 * 7月28日:稲生沢(大沢口) - 下田(武が浜)間特許〔「軌道特許状下付」『官報』1917年8月1日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔帝国鉄道協会 (1928)〕。
 * 9月20日:南豆馬車鉄道設立〔『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔〔9月2日は誤植と指摘している。「南豆馬車鉄道沿革史」101頁〕。
* 1918年大正7年)9月2日:開業〔和久田 (1993)〕〔。
*1933年(昭和8年)2月1日:旅客営業休止。
* 1936年昭和11年)1月22日:旅客営業廃止。
* 1943年(昭和18年):休止
* 1945年(昭和20年):再開
* 1946年(昭和21年)8月:休止〔。
* 1952年(昭和27年):南豆鉄道興業に社名変更。
* 1957年(昭和32年)4月11日:廃止許可〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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