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六角義実 : ミニ英和和英辞書
六角義実[ろっかく よしさね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ろく]
  1. (num) six 
六角 : [ろっかく]
 (n) hexagon
: [つの]
 【名詞】 1. horn 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 

六角義実 : ウィキペディア日本語版
六角義実[ろっかく よしさね]

六角 義実(ろっかく よしさね、永正7年(1510年) - 弘治3年(1557年)?)は、戦国時代六角氏嫡流の六角氏綱の子として、沙沙貴神社所蔵の「佐々木系図」や『江源武鑑』などに見られる人物。母は足利義澄の妹。子に義秀義頼らがいるとされている。通称は四郎、別名に隆頼、義久。出家して宗能と号す。ただし、同時代史料に六角義実が存在したという記録はない。
== 概略 ==
沙沙貴神社所蔵の「佐々木系図」では、室町幕府将軍足利義稙猶子となり、従三位参議・大膳大夫・近江守護・権中納言に任ぜられたとされている。在野歴史研究家の佐々木哲は『鹿苑日録』の天文5年(1536年)、天文8年(1539年)五月の条に江州相公と記されているのは参議(参議の唐名は宰相、相公)義実とのことだとしている。ただし「公卿補任」や公家の日記などには六角氏が参議以上に任官したという記録はない。
実名は六角氏重臣の筆頭格「両藤」の一角である進藤久治山中久俊深尾久吉らの重臣、勢力下の浅井久政の偏諱から義久であるとする説がある。『鹿苑日録』では江州相公に比定される人物に義久との名を当てており、実際には義久と名乗っていた可能性が高いとしている。このほか「高頼」「隆頼」と名乗っていた形跡も見られる(『大永六年五月二十八日付青木社中宛六角隆頼願状』)。
その治世中、一貫して足利将軍家の庇護者として行動し、京を追われた足利義晴を領国近江に保護し、大永6年(1526年)には浅井亮政退治を青木社に祈願するなどの行動が見える。
天文3年(1534年)、観音寺城内の桑実寺で行われた将軍足利義晴五摂家近衛尚通の息女慶寿院との婚礼に際して父氏綱とともにお色直しに参上した。(『天文三年甲午六月八日江州於桑実御台様むかへニ御祝目六』)。義晴の帰京には従わなかった(『厳助往年記』)。天文6年(1537年)出家して宗能と号す(『続群書類従』に宗能名義での発給文書が掲載)。幕府内では将軍に次ぐ地位にあり、天文8年(1539年)には養父
である足利義稙の十七回忌法要を主催し、堺政所足利義維を牽制、将軍就任を阻止した。兄弟に仁木義政がいる。
没年は天文15年(1546年)もしくは天文18年(1549年)、弘治3年(1557年)などと言われ判然としない。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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