翻訳と辞書
Words near each other
・ 作用素環
・ 作用素環論
・ 作用素論
・ 作用部位
・ 作用量
・ 作用電極
・ 作田右手雄
・ 作田啓一
・ 作田川
・ 作田明
作田荘一
・ 作田裕次
・ 作田誠二
・ 作田貴志
・ 作男
・ 作画
・ 作画グループ
・ 作画崩壊
・ 作画監督
・ 作画監督チーフ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

作田荘一 : ミニ英和和英辞書
作田荘一[さくた そういち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [いち]
  1. (num) one 

作田荘一 : ウィキペディア日本語版
作田荘一[さくた そういち]
作田 荘一(さくた しょういち、古い文書では“莊一”、読みを「そういち」とするのは誤り 1878年12月1日 - 1973年2月9日)は、日本の経済学者。元満洲建国大学副総長〔形式上は国務総理大臣が建国大学総長を兼任していたが、建国大学の実質的な責任者は副総長だった。〕。経済学博士京都大学名誉教授作田啓一の父。
== 来歴 ==
山口県に藤本家の5男として生まれる。藤本家の家計の都合により高等小学校から上級学校への進学が困難であったため作田家の養子となり作田姓となる。山口高等学校(旧旧山高)を経て1905年に東京帝国大学法科大学を卒業、高等文官試験に合格し逓信事務官となる。30年「自然経済と意志経済、経済学の根本問題」で京都帝国大学経済学博士山口高等商業学校教授、京都帝国大学助教授、同教授、同経済学部長などを歴任。建国大学創設準備委員を経て1939年に満洲建国大学副総長兼研究院長となり、1942年に中国人学生大量検挙の責任をとって辞任するまでつとめ、退職後は同名誉教授となる。森信三と交流があったことが知られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「作田荘一」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.