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上野裕一郎 : ミニ英和和英辞書
上野裕一郎[うえの ゆういちろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
上野 : [うえの]
 【名詞】 1. section of Tokyo 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [いち]
  1. (num) one 

上野裕一郎 : ウィキペディア日本語版
上野裕一郎[うえの ゆういちろう]

上野 裕一郎(うえの ゆういちろう、1985年7月29日 - )は日本陸上競技選手、専門は中・長距離種目長野県佐久市出身。佐久長聖高等学校中央大学法学部卒業。エスビー食品を経てDeNA所属。第12回世界選手権男子5000m日本代表。
佐久長聖高校、中央大学の主力選手として各陸上競技大会で活躍を残し、全国都道府県対抗男子駅伝でも長野県の優勝に貢献している。2009年には第93回日本選手権1500m5000m2種目制覇を遂げた。
== 経歴・人物 ==

=== 佐久長聖高等学校 ===
中学時代は軟式野球部に所属し、主に三塁手を務めていたがレギュラーではなく、本格的に陸上競技を始めたのは佐久長聖高校に進んでからであるという。高校では入部時「世界記録を出す」と宣言し〔ビッグマウス 実力発揮 上野裕一郎(陸上・5000メートル) asahi.com(09-07-26).2009年12月9日閲覧。〕、両角速監督指導の下、監督自らが整備したクロスカントリーコースなどを走り鍛え上げられた。
2001年12月23日、佐久長聖高校1年の上野は第52回全国高等学校駅伝競走大会に出場して2区区間賞を獲得、その実力は早くも全国に知れ渡るものとなった。2002年佐藤悠基が入学してきた。佐藤とは彼がまだ中学3年生であった頃、2001年の国体3000mで初めて対決して以来、互いに意識するライバルであったという。12月3日、日本体育大学長距離競技会5000mに出場し、日本高校2年歴代2位となる13分56秒11を記録した。翌2003年1月19日には第8回全国都道府県対抗男子駅伝に出場し、長野県代表として5区を走り区間賞を獲得した。前年の今井正人の記録を1秒更新する区間新記録を樹立し、またこの時24位でタスキを受けると17人をごぼう抜きし、7位まで順位を上げた。
2003年高校3年となった上野は7月、長崎インターハイ出場を果たし、前年に続き1500mと5000mの2種目にエントリーした。ともに近年は外国人留学生ランナーが優勝を重ね続ける種目であり〔1500mでは1999年佐久長聖高校の先輩・佐藤清治以来、5000mでは1992年中原大輔以来、日本人高校生による優勝者なし。その後、1500mでは2005年高林祐介が優勝者となったが、5000mは2009年まで全ての年次で外国人留学生による勝利が占め、日本人高校生による同種目優勝者は出ていない。〕、この年も前年2002年に続きジョセファト・ダビリが2種目優勝を遂げ〔ジョセファト・ムチリ・ダビリNdambiri Josphat Muchiri、1985年 - )ケニア共和国出身の外国人留学生で、この時流通経済大学付属柏高等学校3年。1500m3分40秒21、5000m13分36秒14の優勝タイムは共に大会新記録。卒業後は流通経済大学を経て小森コーポレーション所属。2004年流通経済大学1年時に日本インカレ5000m・10000m2種目優勝を達成。世界陸上選手権大阪大会10000m5位。
ジョセファト・ムチリ・ダビリ(国際陸上競技連盟プロフィール)(英語) 〕、また大会新記録まで樹立する結果となった。上位も4位までを留学生が占める中、上野は1500m・5000mの2種目とも5位、日本人1位の成績を残し、この時1500mで記録した3分45秒49は日本高校歴代4位となる好タイムであった。
また、この5000mには大牟田高校伊達秀晃西脇工業高校北村聡洛南高校松岡佑起が出場しており、上野を含めた4人で日本人上位を分け合う結果となった。それぞれが高校陸上長距離種目の名門校出身であり、高校時代の5000m自己記録が大学生エリートランナーの1つの目安とされる13分台〔(参照)天皇賜杯 第75回日本学生陸上競技対校選手権大会 参加標準記録 iuau.2009年12月9日閲覧。大会の各種目に出場するためにはその参加標準記録を上回る自己記録を指定期間内に突破していなければならない。日本インカレのA標準を例に取ると1500mでは3分49秒00、5000mでは13分58秒00、10000mでは28分58秒00の突破が条件である。上野は高校時代にこれら全てを上回る自己記録を残した。〕 を記録していたこの4人は、この前後よりあらゆるレースで顔を合わせ、この後も長らく互いに競い合う関係になった。この同学年エースランナー4人を指して、人は自然発生的に四天王と呼ぶようになった〔ビッグマウス 実力発揮 上野裕一郎(陸上・5000メートル) asahi.com(09-07-26).2009年12月9日閲覧。〕。
同年11月29日、日本体育大学長距離競技会10000mに出場。実業団ランナーや大学生ランナーに混じって走り、28分27秒39の自己ベストを記録した。これは渡辺康幸が持っていた28分35秒8を12年ぶりに更新する男子10000m日本高校記録となるものであった。
同年12月21日、第54回全国高校駅伝において、前年に引き続き各校のエースランナーが集う花の1区を務め、区間5位の結果を残した〔区間1位はサムエル・ワンジル(仙台育英高校)で記録は28分04秒。区間2位はジョン・カリウキ(滋賀学園高校)で記録は28分08秒。4位はメクボ・ジョブ・モグス山梨学院大学附属高校)で記録は28分51秒、4位以上までを外国人留学生が占めた。〕。この時記録した28分54秒のタイムは日本人選手で史上初めて29分を切るものであり、古田哲弘浜松商業高校)の記録29分15秒を更新する日本人選手区間最高記録となった。上野や佐藤〔佐藤悠基 4区(8.0km)区間賞 22分44秒(区間新記録)。〕 らの活躍により佐久長聖高校は7区間42.195kmの都大路を2時間04分30秒で駆け抜け、全国2位の成績を残した〔優勝は宮城県代表の仙台育英高校で2時間02分07秒。1997年の西脇工業高校(兵庫)の大会記録2時間03分18秒を1分11秒上回る大会新記録での優勝。〕。翌2004年1月18日には第9回全国都道府県駅伝に出場し、長野県代表5区として区間賞を獲得。前年の自身の記録を1秒縮める24分32秒で走り区間記録を更新、また上野が5人を交わして先頭にたつと、その後は先頭を他者に譲ることなく長野県代表が全国優勝を飾った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「上野裕一郎」の詳細全文を読む




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