翻訳と辞書
Words near each other
・ ロシア生活党
・ ロシア産業エネルギー省
・ ロシア産業企業家同盟
・ ロシア産業貿易省
・ ロシア的倒置法
・ ロシア皇国
・ ロシア皇太子
・ ロシア皇太子ハンデキャップ
・ ロシア皇太子傷害事件
・ ロシア皇帝
ロシア皇帝エカテリーナ2世
・ ロシア皇帝キャサリン1世
・ ロシア皇帝ピーター1世
・ ロシア研究モジュール
・ ロシア社会主義者運動
・ ロシア社会主義連邦ソビエト共和国
・ ロシア社会正義党
・ ロシア社会民主党
・ ロシア社会民主労働党
・ ロシア社会民主同盟


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ロシア皇帝エカテリーナ2世 : ミニ英和和英辞書
ロシア皇帝エカテリーナ2世[よ, せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

皇帝 : [こうてい]
 【名詞】 1. emperor 
: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ロシア皇帝エカテリーナ2世 ( リダイレクト:エカチェリーナ2世 ) : ウィキペディア日本語版
エカチェリーナ2世[えかちぇりーな2]

エカチェリーナ2世エカチェリーナ2世アレクセーエヴナ、、1729年4月21日グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))は、ロマノフ朝第8代ロシア女帝(在位:1762年6月28日(グレゴリオ暦7月9日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))。夫はピョートル3世、子にパーヴェル1世
プロイセンフリードリヒ2世(大王)やオーストリアヨーゼフ2世と共に啓蒙専制君主の代表とされる。ロシア帝国の領土をポーランドウクライナに拡大し、大帝(ヴェリーカヤ)と称される。帝政時代にロシア帝国銀行が発行していた100ルーブル紙幣の肖像に描かれていた。また、現行の紙幣では沿ドニエストル共和国が発行する500沿ドニエストル・ルーブルに描かれている。
日本では従来「エカテリーナ」の表記が多かったが、原音により忠実な「エカチェリーナ」の表記が普及してきた。また、ドイツ語英語由来の「カタリーナ」(Katharina II.)、「カザリン」、「キャサリン」などの表記も散見する。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===

ドイツ(現在はポーランド領)ポンメルンシュテッティン神聖ローマ帝国領邦君主クリスティアン・アウグストプロイセン軍少将)の娘として生まれ、ルター派の洗礼を受けゾフィー・アウグスタ・フレデリーケと名づけられた。
母のヨハンナ・エリーザベトは、デンマーク王家オルデンブルク家の分家でやはり北ドイツの小邦領主であるホルシュタイン=ゴットルプ家出身であったが、次兄アドルフ・フレドリクは後にスウェーデンの王位を継承した。弟が2人で、上の弟は12歳で死亡、下の弟は後にアンハルト=ツェルプスト侯領を継ぐ。
ゾフィーは2歳の時からフランス人ユグノーの家庭教師に育てられ、特に2番目の家庭教師バベ・カルデル嬢にはロシアへ行くまで教えを受けた。その結果、フランス語に堪能で合理的な精神を持った少女に育つ。乗馬も達者だったが、音楽は苦手。それほどの美貌ではなかったが、生来の優れた頭脳を活かし、知性や教養を磨いて魅力的で美しい女性となる努力を重ねた。本来家柄的にはとても大国の后妃候補に挙がる身分ではなかったが、母ヨハンナの早世した長兄カール・アウグストがロシア女帝エリザヴェータの若かりし頃の婚約者であった縁もあり、ゾフィーは14歳でロシア皇太子妃候補となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エカチェリーナ2世」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Catherine the Great 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.