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ボージャ1世 : ミニ英和和英辞書
ボージャ1世[ぼーじゃ1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ボージャ1世 : ウィキペディア日本語版
ボージャ1世[ぼーじゃ1せい]

ボージャ1世(Bhoja I, ? - 885年頃)は、北インド、プラティーハーラ朝の王(在位836年 - 885年)で、同王朝の最盛期を築いた王である。パラマーラ朝の王ボージャと区別するために、ミヒラ・ボージャ(Mihira Bhoja)とも呼ばれる。
==生涯==
ボージャの1世正確な即位年代は不明であるが、836年ごろカナウジを確保したことが記録から知られる。
ボージャ1世は、祖父ナーガパタ2世の晩年及び父王ラーマバドラの時代にパーラ朝などに侵攻された領域の回復につとめ、ラージャスターンマディヤ・プラデーシュウッタル・プラデーシュ西部の足固めを終えるとガンジス中下流域への遠征を敢行したが、パーラ朝の英主デーヴァパーラに撃退された。
その後、グジャラートデカン地方の征服を行おうと考えたが、ナルマダー河畔で多大な犠牲をはらって、かろうじてラーシュトラクータ朝の軍を破り、マールワー地方の大半とグジャラートを確保するにとどまった。
ボージャ1世は、中央アジアアラビア方面から馬を輸入し優秀な騎兵を養成し、その軍勢の強大さについては、アラブの歴史家スライマーンや直接ボージャの時代ではないが、915年916年頃にプラティーハーラ領内を旅したアル・マスウーディーの記録からもうかがわれる(アル・マスウーディーの記録は、マヒーパーラ1世の時代のものと思われ、当時プラティーハーラ朝は70万~90万の軍勢を四個師団有し、戦象を2000頭有していたという)。
一方、デーヴァパーラ没後のパーラ朝は急速に弱体化し、ボージャ1世は、パーラ朝に対して雪辱を果たし、ビハール州西部まで獲得するにいたった。
また、北西は、パンジャーブ地方まで勢力を拡大することに成功し、ウッタル・プラデーシュの東端ゴーラクプルカラチュリ家ブンデルカーンドチャンデーラ家、ラージャスターンのチャーハマーナ家マールワーパラマーラ家を封臣(サーマンタ)として従えた。
内政面では、グジャラート確保による海上交易、金、銀山などの開発と貨幣の鋳造を行い、領内には盗みを働く者がいないくらいの繁栄を誇ったという。
また、ボージャ1世は、ハルシャ・ヴァルダナが『ハルシャチャリタ』で題材になったように伝承、戯曲の題材になった王として知られ、青年時代の冒険譚、失われた帝国を再建してカナウジを獲得する物語として描かれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボージャ1世」の詳細全文を読む




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