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ヒデコトブキ : ウィキペディア日本語版
ヒデコトブキ

ヒデコトブキ日本競走馬繁殖牝馬1969年の第29回桜花賞に優勝した。
== 経歴 ==
1966年、北海道の名門・鎌田牧場で生産される。父コダマは競走馬時代に「超特急」と称され、後に顕彰馬に選出される名馬。母ミスケイコ重賞2勝を挙げた実力馬で、いずれも鎌田牧場の生産馬であった。
競走年齢に達し、栗東トレーニングセンター伊藤修司厩舎に入る。8月の函館開催でデビューを迎え、保田隆芳を鞍上に初戦勝利を収めた。続いて札幌に移ったが、ダートコースでの競走に手間取り、開催中2戦は2、3着と勝ち切れなかった。しかし地元関西に戻り、緒戦の牝馬限定戦で2勝目を挙げると、迎えた関西の3歳王者戦・阪神3歳ステークスでは、12頭立ての10番人気ながら後方からの鋭い追い込みを見せ、リキエイカンから半馬身差の2着となった。これで翌年の牝馬クラシックに向けての有力候補に挙げられるようになった。
翌1969年から久保敏文を鞍上に迎え、初戦の条件戦に勝利。桜花賞トライアル阪神4歳牝馬特別も、逃げた1番人気馬ファインハピーを差し切り、重賞初勝利を挙げた。
迎えた桜花賞では、ここまで8戦5勝・2着2回という成績のトウメイが1番人気に支持され、次いでファインハピー、3番人気にヒデコトブキが入り、この3頭の「3強対決」と目された。レースはダッシュウェーとファインハピーが競り合い、トウメイが5、6番手、直後にヒデコトブキが付けた。レースは前半4ハロンが46秒8と、当時としては非常に速いペースで展開し、第4コーナーで先行勢が失速。代わってトウメイが先頭に立ったが、これに外からヒデコトブキが馬体を接し、直線では両馬の競り合いとなった。残り100m地点でヒデコトブキが前に出ると、ゴール前で再び差し返してきたトウメイを半馬身抑え、1着でゴールした。半馬身差ながら写真判定となったレースで、優勝タイム1分36秒6は、従来のレースレコードを一挙に1秒短縮するものだった。鞍上の久保は、これが八大競走初優勝であった。
続いては優駿牝馬(オークス)を目指して東上したが、この調教中、かねてより不安のあった右前脚を傷めてオークスを回避。以降は長期の休養を余儀なくされた。翌年2月に復帰し、緒戦の5着を経て、2戦目のオープン戦でトウメイと再戦したが、3着と敗れる。続く大阪杯では1番人気に支持されたが2戦連続の3着に終わり、再度の療養を経てのオープン戦2着を最後に競走馬を引退した。
その後は故郷鎌田牧場で繁殖牝馬となったが、産駒の競走成績は芳しくなく、目立った産駒を残せないまま1985年春に死亡した。その死後、牡駒サンキョーショウリ(父リィフォー)が良血を買われて種牡馬となり、障害重賞で2勝を挙げたヒサコーボンバーを出した。ほか曾孫に2004年のオールカマーに優勝したトーセンダンディがいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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