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ニコラス・スロニムスキー : ミニ英和和英辞書
ニコラス・スロニムスキー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ニコラス・スロニムスキー : ウィキペディア日本語版
ニコラス・スロニムスキー[ちょうおん]

ニコラス・スロニムスキー(Nicolas Slonimsky, 1894年4月27日 - 1995年12月25日 )はロシア系アメリカ人作曲家指揮者音楽評論家辞書編集者作家
== 略歴 ==
実名はニコライ・レオニードヴィチ・スロニムスキー(Nikolai Leonidovich Slonimsky ())。サンクトペテルブルクに生まれる。両親はギリシャ正教改宗したユダヤ人であり、スロニムスキーもロシア正教会で洗礼を受けた。母方のおばイサベル・ヴェンゲーロヴァピアノの手解きを受ける。
1923年アメリカ合衆国に移住し、ロチェスターイーストマン音楽学校に新設されたオペラ部門の伴奏者として働きながら、同校で作曲や指揮法の研究を続けた。2年後にボストンに移り、セルゲイ・クセヴィツキーの助手としてボストン交響楽団に勤める(但しスロニムスキーは、パリでクセヴィツキーのためにコレペティトールを務めたことがあった)。この間、ボストン音楽院やマルキン音楽院で音楽理論を指導し、ボストン・イヴニング・トランスクリプト紙やクリスチャン・サイエンス・モニター紙、エチュード紙に音楽評論家として寄稿するようになった。
1927年にボストン室内管弦楽団を結成し、同時代の作曲家にこの団体のための作品を依嘱するなど、現代音楽の擁護者として活動した。例えば1931年にはチャールズ・アイヴズの《ニューイングランドの3つの場所》を、1933年にはエドガー・ヴァレーズの13人の打楽器奏者のための《イオニザシオン》の世界初演を指揮している。
1958年に『ベイカー音楽家人名事典』の監修者を引き受け、1992年まで編集主幹を務めた。また、20世紀の音楽界におけるあらゆる重要な出来事をまとめた『1900年以降の音楽 ''Music Since 1900'' 』を執筆し、『音楽毒舌事典 ''The Lexicon of Musical Invective'' 』(日本語版は「名曲悪口辞典」,ISBN 978-4-276-20376-1)では、音楽評論家による作曲家への痛快な扱き下ろしをまとめた。スロニムスキーの最も有名な著書は『音階と旋律の型のシソーラス ''Thesaurus of Scales and Melodic Patterns'' 』(ISBN 0-8256-1449-X)である。これは、フランク・ザッパジョン・コルトレーンジョン・クーリッジ・アダムズバケットヘッドなど、多方面の音楽家に影響を与えたことでも知られる。
著名な門人に、中国系アメリカ人の民族音楽学者、シンシア・ツェ=キンバーリンがいる。
101歳にて逝去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニコラス・スロニムスキー」の詳細全文を読む




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