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鹿野澄 : ミニ英和和英辞書
鹿野澄[かの きよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

鹿 : [しか]
 【名詞】 1. deer 
: [の]
 【名詞】 1. field 

鹿野澄 : ウィキペディア日本語版
鹿野澄[かの きよし]
鹿野 澄(かの きよし、明治18年(1885年8月23日 - 昭和34年(1959年1月11日)は、日本陸軍軍人実業家。最終階級は陸軍主計中将
== 経歴 ==
鳥取県米子市出身〔『勝田ヶ丘の人物誌』35頁には「本来米子の人らしく、野坂寛治によると、米子東町の松浦医院のところが、“主計中将鹿野澄氏の生家であった”ということであるが、これには一、二違った意見もあるようだ。鹿野家のあとは現在米子には誰もいないらしく、電話帳によって一軒残っている鹿野家に電話をしてみたが、“うちとは関係ありません”という返事がはねかえってきた」とある〕。
米子中学(現在の米子東高校)を経て明治41年(1908年)5月、陸軍経理学校(2期)を優等で卒業。
昭和6年(1931年)8月、陸軍一等主計正(大佐相当官)に昇進し陸軍造兵廠会計部長に就任。昭和9年(1934年)6月、第1師団経理部長となる。千住製絨所長心得を経て、昭和11年(1936年)8月、陸軍主計監(少将相当官)に進級し千住製絨所長に就任。同年12月、糧秣本廠長に転じ、経理学校付を経て、昭和14年(1939年)8月、被服本廠長に就任。同年10月、陸軍主計中将に進んだ。昭和15年(1940年)8月に待命、そして予備役編入となった。
退役後、の統制会社の社長、浜口繊維産業取締役、日東紡績顧問、新東海フェルト(株)顧問、フェルト産業(株)顧問、江口汽船(株)取締役、吾妻ゴム産業(株)取締役等歴任。
昭和15年(1940年)4月29日 勲一等瑞宝章受章〔中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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