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高木卓 : ミニ英和和英辞書
高木卓[たかぎ たく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [たく]
 【名詞】 1. table 2. desk 3. high 

高木卓 : ウィキペディア日本語版
高木卓[たかぎ たく]

高木 卓(たかぎ たく、1907年1月18日 - 1974年12月28日)は、小説家、ドイツ文学者、音楽評論家。幸田露伴の甥である。
ヴァイオリニストで、女性初の文化功労者に選ばれた安藤幸と、英文学者・安藤勝一郎の子として東京に生まれる。本名・安藤煕。東京帝国大学独文科卒。水戸高等学校教授などをつとめながら小説を書き、同人雑誌『作家精神』による。1936年「遣唐船」で芥川賞候補、1940年(昭和15年)、大伴家持を描いた歴史短篇「歌と門の盾」で芥川賞〔1940年(昭和15年)上半期の第11回芥川賞〕を授与されるが辞退する。菊池寛は、恥を掻かされたと言って怒っている。高木は、自分が辞退すれば『作家精神』の桜田常久がくりあげ受賞すると誤認したという説もある(桜田は次回受賞)。そうではないと分かり、自分が辞退したことで『作家精神』の同人が候補から外されることを恐れ、菊池に謝りに行った〔川口則弘『芥川賞物語』バジリコ、2013〕。
戦後は東京大学教養学部教授、67年定年退官、獨協大学教授。古典の子供向け翻案などの仕事をするに留まった。次女に、児童文学作家、作詞家である高木あきこがいる。
『ムツゴロウの青春記』によると、畑正憲が東大でドイツ語の授業を受けている(本文中では、実名は表記されず「Tという芥川賞を辞退した教官」となっている)。授業や試験については、かなり不愉快なものだったらしく、サ行、とくに「せ」の発音が「しぇ」になってしまう畑正憲は、それをからかわれるような扱いを受けたと書いている。
戦後の活動で最も重要なものは音楽関係の仕事であり、ワーグナー(ヴァーグナー)の楽劇作品の殆どを翻訳し、作品の上演やレコード解説にも数多く携わり、日本でのワーグナー受容史に於ける重要な存在である。また僅かながら作曲作品もある。
==著書==

*『歌と門の盾』三笠書房 1940
*『北方の星座』大観堂 1941
*『遣唐船ものがたり』学習社 1942 
*『復讐譚』今日の問題社 1943
*『聖徳太子』至文堂 1943
*『安南ものがたり』東京出版 1945
*『獄門片影』大日本雄弁会講談社, 1947
*『人間露伴』丹頂書房, 1948
*『血と血』八雲書店, 1948
*『おのづから物語』宝文館, 1949
*『紫式部』偕成社, 1951
*『ベートーヴェン』講談社(世界伝記全集),1955 新版1981
*『唐琴童子』講談社の絵本 1956
*『むらさき物語』雲井書店 1957
*『芥川龍之介読本』(編)学習研究社(近代日本文学読本) 1958
*『シューベルト』偕成社(世界偉人伝全集), 1966
*『ヴァーグナー』音楽之友社 (大音楽家・人と作品9),新版1988 
*『露伴の俳話』講談社学術文庫, 1990

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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