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高専柔道(こうせんじゅうどう)とは、旧制高等学校・大学予科・旧制専門学校の柔道大会で行なわれた寝技中心の柔道の略称。1898年(明治31年)、東京の第一高等学校と仙台の第二高等学校の柔道部の間で行われた対抗戦に端を発する〔金光彌一兵衛、『新式柔道』1925年(大正14年)。『ブラジリアン柔術入門』ベースボール・マガジン社、2002年。〕。 立ち技から直接寝技に引き込むことが認められ、優勢勝ちがないなど、講道館とはルールが異なる。柔道における三角絞めは高専柔道から生まれた技術を講道館柔道が採用した技である。 現在では旧帝大で行われている七帝柔道だけが脈々と100年を超える高専柔道の流れをうけついでいる。 ブラジリアン柔術が注目されるにつれて、技法や理念が近い高専柔道が再評価されている。ブラジリアン柔術と同じく、その源流が講道館柔道であるので相互に乗り入れる事が非常に簡単であり、寝技技術向上の目的で、柔道を練習しながら七帝柔道の練習を並行して行っている講道館柔道修行者もいる。 政財界、文化界にも永野重雄、正力松太郎、井上靖、松前重義ら多くの人材を生み出した。 高専柔道を舞台にした文学作品に井上靖の『北の海』、七帝柔道を舞台にした作品に増田俊也の『七帝柔道記』がある。 == 歴史 == *1898年(明治31年)、高専柔道誕生。 *1910年(明治43年)、足緘(ヒールホールドの原型)が使用されたが、後に禁止技となる。 *1914年(大正3年)、最初の高等・専門学校柔道大会となる第1回全国高専柔道大会(京都帝大主催)が開催。 *1920年(大正9年)、六高が東京に遠征。警視庁に5人残(25人の勝ち抜き戦)で勝利する。 *1921年(大正10年)、足の大逆(膝十字固め)が初めて使用されたが、後に禁止技となる。 *1922年(大正11年)、松葉搦み(三角絞め)が編み出される。 *1927年(昭和2年)、第1回全国高商柔道大会(全国高商柔道連盟主催、神戸高商〔官立神戸高等商業学校は1929年(昭和4年)に神戸商業大学となる。〕主管)が開催される。 *1931年(昭和6年)、第1回全国高工柔道大会(東京工大主催)が開催される。 *1944年(昭和19年)、最後の高等・専門学校柔道大会となる第1回九州地方高専柔道錬成大会が開催。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高専柔道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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