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香住佐代子 : ミニ英和和英辞書
香住佐代子[かすみ さよこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じゅう]
 【名詞】 1. dwelling 2. living 
: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

香住佐代子 : ウィキペディア日本語版
香住佐代子[かすみ さよこ]

香住 佐代子(かすみ さよこ、1917年10月28日 - )は、日本の女優である〔''香住佐代子''、''jlogos.com'', エア、2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''日本映画データベース、2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''KINENOTE, 2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''日活データベース、2013年2月22日閲覧。〕〔''香住佐代子''東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月22日閲覧。〕。出生名丸山 菊代(まるやま きくよ)〔〔、結婚後本名山本 菊代(やまもと きくよ)〔キネマ旬報社, p.48.〕。1930年代・1940年代の片岡千恵蔵プロダクション日活京都撮影所大映京都撮影所での剣戟映画のヒロイン女優として知られる〔。
== 人物・来歴 ==
1917年大正6年)10月28日東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東3-4丁目)に生まれる〔〔。
1935年(昭和10年)3月、旧制・上野高等女学校(現在の上野学園高等学校)を卒業し、京都に移って片岡千恵蔵プロダクションに入社する〔〔。同年11月29日に公開された『黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻』(監督振津嵐峡)に出演、主演の片岡千恵蔵の相手役に抜擢されて、満18歳で映画界にデビューした〔〔。1937年(昭和12年)4月、同プロダクションが解散し、プロダクションごと日活京都撮影所に招かれた際に、千恵蔵らとともに同撮影所に移籍した〔〔。同プロダクションの最終作品である『松五郎乱れ星』(監督衣笠十四三)にも出演しており、同作は同年7月1日に日活の配給によって公開されている。
同撮影所では、『自来也』(監督マキノ正博、1937年)や『鴛鴦道中』(監督マキノ正博、1938年)といった千恵蔵主演作にひきつづき出演したほか、阪東妻三郎が主演した『恋山彦 風雲の巻』『恋山彦 怒濤の巻』(監督マキノ正博、1937年)や『飛龍の剣』(監督稲垣浩、1937年)、嵐寛寿郎が主演した『髑髏銭 前篇 風の巻』『髑髏銭 後篇 雲の巻』(監督辻吉郎、1938年)や『鞍馬天狗 龍攘虎搏の巻』(監督松田定次、1938年)などに出演、好演を評価された〔〔。満23歳を迎えた1940年(昭和15年)10月 - 11月に公開された『まぼろし城』三部作(監督組田彰造)で演じた「韋駄天おすみ」役で、人気がヒートアップしたとされる〔〔。
1942年(昭和17年)1月10日、戦時統合により大映が設立され、同撮影所が大映京都撮影所となった際には、同社に継続入社した〔〔。第二次世界大戦終結後も、引き続き同撮影所に所属、満30歳を目前とした1947年(昭和22年)秋、同年3月11日に公開された『闇を走る馬車』で共演した16歳上の剣戟俳優市川朝太郎(本名 山本幸三郎)と結婚、1男をもうけた〔〔。当時、市川・香住夫妻が所属した大映には、市川の実弟である映画監督・加戸敏(本名 加藤善太郎、1907年 - 1982年)が在籍していた〔。しかしながら、夫の市川は、結婚の約1年半後の1949年(昭和24年)2月16日、満47歳で死去してしまった〔〔。『王將』(監督伊藤大輔)への出演以降、しばらくのブランクを経て、図らずも夫が亡くなり、その後の復帰作は、同年4月17日に公開された木村恵吾監督の『花くらべ狸御殿』であった〔〔〔〔〔〔。
翌1950年(昭和25年)には、大映東京撮影所に異動して、そもそもの出身地である東京に戻った〔〔〔〔〔〔〔。その後は多くの現代劇に助演し、1961年(昭和36年)に大映を退社した〔〔〔〔〔〔〔。同年、大映テレビ室(現在の大映テレビ)が製作、フジテレビジョンが放映した連続テレビ映画『少年ジエット』(当時の放映題は『新少年ジエット』)に出演、同作への出演を最後に、満44歳で引退した〔〔〔〔〔〔〔。劇場用映画への最後の出演作は、同年4月26日に公開された井上梅次監督の『五人の突撃隊』で演じた、川口浩演じる橋本上等兵の母親役であった〔〔。
1998年(平成10年)11月に上梓された書籍『美剣士』(ワイズ出版)の企画協力に名を連ね、円尾敏郎によるインタヴューが掲載されて、満81歳当時の健在が確認された〔円尾・高橋, p.1.〕。2004年(平成16年)8月に発行された『映画論叢』通巻9号には、円尾によるインタヴュー『香住佐代子、香住佐代子と年中思って暮らしております』が掲載された〔映画論叢, p.92-127.〕。2006年(平成18年)6月5日付の円尾のブログに「香住佐代子さんは、足の骨を折ってから連絡がとれなくなった」と記述されて以降の消息が不明である〔2006年6月5日(月) 円尾敏郎 覚え書き 円尾敏郎、2013年2月23日閲覧。〕。存命であれば、現在満歳である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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