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音田正巳 : ミニ英和和英辞書
音田正巳[おんだ まさみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おと, ね]
  1. (n,n-suf) sound 2. note 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [み]
 【名詞】 1. sixth sign of Chinese zodiac (The Serpent, 9a.m.-11a.m., south-southeast, April) 

音田正巳 : ウィキペディア日本語版
音田正巳[おんだ まさみ]
音田 正巳(おんだ まさみ、1917年1月 - 1985年3月)は日本の経済学者
==経歴==
大阪府立今宮中学校大阪高等学校を経て、1936年東京帝国大学経済学部に入学。在学中は河合栄治郎の演習に参加し、河合の「人格主義理想主義」に基づく、共産主義にもファシズムにも反対する態度に感銘し、以降の人生が決定する。
卒業後は、戦時下で製鉄会社に就職するも、短期現役海軍士官となったり、戦地に応召することを余儀なくされ、戦後は各種学校の講師、助教授、教授を歴任し、1958年に大阪府立大学教授となり、1969年まで勤めた。その後山口大学教授、広島経済大学教授などを歴任、1979年帝塚山大学長となり、1982年退任した。
その間、学外では、戦後河合門下の人とともに社会思想研究会を立ち上げ(出版部門は後に社会思想社となる)〔多くの河合門下生はその後の民主社会主義研究会議などに参加したが、音田はなぜか頑として入会しなかった。〕、その関西でのとりまとめと教育・普及・拡大につくした〔音田が自分の主導する読書会、後援会、合宿ゼミで精力的な活躍を見せたのは参加者の語り癖になっている。『音田理事長を偲ぶ』(関西労働文化教育研究所、1985年)での伊原吉之助証言、28頁。〕。
専門は社会政策であり、近代的労使関係の在り方を最大テーマとして取り組み、特に現実社会での具体的問題の解決に力をさいた〔音田は労働問題、社会事業、社会福祉、環境問題、安全保障問題など幅広い分野に興味を見せた。『音田理事長を偲ぶ』(関西労働文化教育研究所、1985年)での伊原吉之助証言、28頁。〕。そのために、経済審議会生活環境審議会中央公害対策審議会など内閣の各種審議会の委員や、大阪府行政改革懇談会大阪市教育委員会など大阪府と大阪市の各種委員会の委員や、関西空港調査会顧問にも就任した。1968年からは長く関西労働文化教育研究所理事長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「音田正巳」の詳細全文を読む




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