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雲龍久吉 : ミニ英和和英辞書
雲龍久吉[うんりゅう きゅうきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くも]
 cloud
: [りゅう]
  1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)

雲龍久吉 : ウィキペディア日本語版
雲龍久吉[うんりゅう きゅうきち]

雲龍 久吉(うんりゅう きゅうきち(ひさきち)、1823年 - 1890年6月15日)は、筑後国山門郡大和村(現:福岡県柳川市)出身の元大相撲力士。第10代横綱。本名は塩塚 久吉で、のちに佐藤 喜太郎と名乗る。
== 来歴 ==
1823年筑後国山門郡で半農半漁を営む家の長男として生まれたが、1835年に大流行した疫病で両親・祖母を相次いで失ったため、生来の怪力を活かして力仕事をこなし、幼い弟と妹を養った。やがて力仕事だけでは養っていけなくなり、土地相撲で頭取を務めていた小櫻(京都相撲の元力士だったと伝わる)、箕嶋に指導を受けた。
やがて、土地相撲から陣幕部屋大坂相撲)に入門したが、1846年に江戸へ出て江戸相撲・追手風の弟子となり、1848年11月場所において幕下二段目付け出しで初土俵を踏むと同時に、柳川藩の抱え力士となる。1853年2月場所で新入幕を果たすと4場所連続で優勝相当成績(8勝1分1休、7勝1敗1分1休、6勝1分1預2休、8勝2休)を挙げるなど順調に出世していき、1858年1月場所で大関へ昇進、1861年9月場所で吉田司家から横綱免許を授与された。
その後は、体力の衰えもあって1865年2月場所を最後に現役を引退して年寄・追手風を襲名し、相撲会所の筆頭(ふでがしら、現在の相撲協会理事長)を務め、明治維新後の大相撲復興に手腕を発揮した。1891年6月15日に死去、67歳没。実在性に乏しい初代横綱「明石志賀之助」から第3代「丸山権太左衛門」までを公式横綱として認定したのは、この雲龍であるとされる。雲龍が記した手記によると、第17代「小錦八十吉」までの横綱について記されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「雲龍久吉」の詳細全文を読む




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