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附属池田小事件 : ミニ英和和英辞書
附属池田小事件[ふぞくいけだしょうじけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

附属 : [ふぞく]
  1. (n,vs) attached 2. belonging 3. affiliated 4. annexed 5. associated 6. subordinate 7. incidental 8. dependent 9. auxiliary 
: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
小事 : [しょうじ]
 【名詞】 1. trifling matter 2. trifle
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 

附属池田小事件 : ウィキペディア日本語版
附属池田小事件[ふぞくいけだしょうじけん]

附属池田小事件(ふぞくいけだしょうじけん)は、2001年平成13年)6月8日に、大阪府池田市大阪教育大学附属池田小学校で発生した、小学生無差別殺傷事件である。
以降、元死刑囚本人を“甲”(文中未修正箇所は“被告人”)と略する。
== 概要 ==

=== 甲の生い立ち、家系、家族 ===
甲の先祖は旧薩摩藩の下級武士で、甲の家系では事件発生前まで代々誇りにしていた。甲家の男子にも代々受け継がれ、法律警察関係の仕事を行う者が多かった。
武士だった甲の曽祖父は、明治維新の直後に丁髷を落として警察官に就任し、鹿児島県から奄美大島に渡った後、大阪・河内へ移住した。甲の祖父は、甲の父親が17歳になった年の春に死去している。甲の父親は小学校で学歴を終え、甲家一家の大黒柱として6人の家族を養ってきた。
甲の父親は、甲の祖父と幼い頃から自宅の庭で木刀を打ち合っていたと言い、「自分は薩摩武士だ」との強烈なプライドを生涯持ち続けていた。父親によれば「『誰にも迷惑をかけない』というのは、大きな私のテーマでありました」と語っている。また、「(甲家の男子は)何代にも渡って厳しい修身教育道徳)教育を受けてきたため、(甲家の男子は)『真のサムライたれ』と教育された。ワシも父親に厳しくそれを仕込まれたし、どんな出身地や身分にも関係無く『教育勅語』というものがあった。これがあったから日本人はちゃんとしとったんですよ」という。父親は極めて平凡な頑固親父で、人生の勝利者にはなり得なかったけれども自分の人生にプライドを持っていたという。
甲の父親は、家族全員に対して激しい暴力をふるっており、甲自身も父親から厳しく接せられていた(尚、父親自身も放任されて育っていた様子である)。甲は暴力をふるう父親を憎悪し、寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともあると述懐している。甲が自衛隊を退職して非行に走るようになると親子関係はさらに悪化し、取っ組み合いをして父親が甲を何度も石で殴打する出来事もあった。事件後、父親は甲のことを「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」と評している。
甲の母親は、家事、育児が苦手であり、家事のほとんどは父親が担当し、一種のネグレクト状態であったと指摘される。甲を身ごもった時、父親に「これはあかん」「おろしたい」と語っていた。また、母乳をあげることも嫌がっていた。さらに、甲が中学を受験する際には、「お前なんか産まれてこなければよかった」と罵詈雑言を浴びせられたと、事件後に甲のマンションから押収されたノートに書かれていた。
甲は両親に対して、喧嘩をした際に、「ヤクザを使ってお前らの生活滅茶苦茶にしてやる」「死ぬまで苦しめてやる」と語っていた。
幼少時代の甲は3歳の時点で三輪車で国道の中央を走って渋滞させたり、小学校では自分より強い児童にはいじめられていたが、自分より弱い児童に対しては徹底的にいじめた。いじめられっ子であると同時にいじめっ子であった。又、等の動物を新聞紙に包んで火をつけて殺害した事もあった。中学入学後も弱いものいじめは継続して行っており、本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、「好意を抱いていた女子生徒の弁当精液をかけた」こともあるという。小学生の頃から自衛隊に強い関心を持っており、「将来は自衛隊入るぞ~」と大声で叫んだり、一人で軍歌を大声で歌っていた事もあり、高校生になっても周囲の同級生に「俺は自衛隊入るからお前等とは後少しの付き合いや」と発言していた事もあったと言う。又、高校時代に停学処分を受けた際、反省文にも「自衛隊は内申書一切関係無しの一発勝負」等と綴っていた事もあった。
尼崎市内の工業高校を2年で中退した後、定時制高校に編入学するも直ぐ退学し、数ヶ月間ガソリンスタンドでのアルバイトを経て1981年末、18歳の時航空自衛隊に入隊したが1983年1月に1年強で除隊させられている。除隊の理由について、鑑定書は「家出した少女を下宿させ、性交渉した」ために懲罰を受けたと記述している。
除隊後、甲は運送会社やトラック運転手、引越し業者等十数社転職を繰り返していたが何れも数週間から半年以内で辞職しており、精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、傷害、暴行などに走り、また高速道路を逆走するなど非行を行うようになっていった。1984年、マンション管理会社に勤務していた時には家賃の集金と称して女性の部屋に上がり込んで強姦事件を起こしている。事件後、甲は母親を伴い精神科を受診、入院するが、入院中に5階から飛び降りて重傷を負う。この出来事の後、統合失調症の診断を下されている。また、のちに母親に宛てた手紙によれば、入院したのは警察から強姦事件で追及されるのを回避するためで、5階から飛び降りたのは「親に嫌がらせをするため」であったという。初犯の強姦事件では1985年に懲役3年の実刑判決が確定し、翌1986年春から1989年春迄奈良少年刑務所に服役し、1989年の出所後父親が甲の私物を下取りに出しその金を本人に手渡しして父親から勘当されている。1993年、30歳の時非常勤の地方公務員になり市営バスの運転手やゴミ収集、小学校の用務員等を勤めていたが、この間も市バスの運転を務めている最中に乗客の女性に「香水の匂いがきつい」ことを理由に言いがかりをつけてトラブルを起こし懲戒処分を受けている。1999年4月に小学校教諭等が飲む茶に精神安定剤を混入させる行為をしたとして分限免職されたものの、刑事処分は「責任能力なし」として受けなかった。その後再度職を転々とするが、その度に暴行事件等を起こした為長続きしておらず、2000年末頃から最終的に池田小の通り魔殺人事件で逮捕された当時は無職であった。十数社の職歴の内ある程度長続きした(1年以上)のは航空自衛隊と非常勤の地方公務員の2ヶ所のみであり、それ以外は何れもおよそ半年以内で辞職したり解雇されている。又、初犯の強姦事件を除き全て自身の精神障害の偽装を楯にして15犯に亘る前科不起訴処分を経験している。
甲は幼い頃から「高学歴・高収入のエリート」に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた。
甲には実兄が一人居たが、破綻した実弟の存在に心を病み、起業の失敗と偽って小刀で首を斬って40代前半の時自殺している。甲の母親も長期に渡って心を病み、長らく精神病院に暮らした。
この厳しくも誇りのある家庭を破壊した人物は、甲の家族でも地域の環境でも社会の変化でもなく、甲自身だったと言われているが、前述の家庭環境を考えると必ずしも甲一人の責任とは言えない。さらに兄の自殺も弟の責任と言いつつも兄も父を止めようとはしなかったので甲の被害者とは言い切れない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「附属池田小事件」の詳細全文を読む




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