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関野 義秀(せきの よしひで、1990年1月4日 - )は、日本の男子フィンスイミング選手。 KITAJIMAQUATICS 所属。200mサーフィス、400mサーフィス、800mサーフィス、4×100m、4×200mサーフィスリレーおよび短水路200mサーフィスの日本記録保持者。 身長172cm、体重68kg。山羊座。血液型AB型。 == 略歴 == 神奈川県平塚市出身。平塚市立なでしこ小学校、平塚市立浜岳中学校、神奈川県立秦野高等学校を経て、東京YMCA社会体育・保育専門学校スイミングスポーツ科スイミングコースを卒業。その後、鹿屋体育大学に第3年次編入学。卒業後は同大学院修士課程を修了。 2歳から神奈中スイミングスクールにて水泳を始め、小学1年時から選手育成コースに入る。競泳時代はずっと神奈中スイミングスクールにて過ごし、高校2年時にはリレーにて春季・夏季ジュニアオリンピックに出場したものの、高校3年に引退するまで秀でた結果はなかった。 フィンスイミングは高校3年だった2007年4月に、当時の競泳のコーチから勧められ取り組む。ひと月後、5月の日本選手権400mビーフィンにて当時の日本新記録を樹立して優勝したことから、アジア選手権に派遣される(ユース日本代表)。同年、アジア選手権(香港)では200mビーフィンで当時のアジア新記録を樹立して優勝〔日本人としてはアジア大会で歴代3人目の金メダル獲得。(『タウンニュース秦野版2007年10月4日号』 より。)〕。 2008年よりモノフィン競技に挑戦し、中距離種目を中心に大会に出場。2010年5月から所属チームを神奈中スイミングスクールからNAIA Finswimming Teamに変更。同年の日本選手権400mサーフィスにて優勝し、初めて正代表として日本代表入りを果たす。同年11月のアジア選手権(高雄・台湾)では4×200mサーフィスリレーにて日本新記録を8年ぶりに更新。 翌年7,8月にかけて行われた世界選手権(ホードメゼーヴァーシャールヘイ・ハンガリー)、翌々年11月に行われたアジア選手権(ダナン・ベトナム)でも、4×200mサーフィスリレーの日本新記録をさらに更新。 また、2012年3月に行われた関東オープン大会(短水路)にて800mサーフィスの日本記録を樹立。同10月の学生選手権にて400mサーフィスの日本記録を樹立〔学生選手権にて日本記録が樹立されたのはこれが初めてである。〕。 2013年5月に行われた日本選手権にて柿添武文(Delfino)にこの記録を塗り替えられるも、同年9月に行われたワールドカップゴールデンファイナル(ジュネーヴ・スイス)にて日本記録を奪還した。 2014年5月に行われた日本選手権大会では、200mサーフィス・400mサーフィスともに日本記録で優勝し、本大会の男子最優秀選手賞に選考され、2014年度の日本代表選手として選考された。アジア選手権(プーケット・タイ)では、4×100mリレー、4×200mリレーの日本新記録を樹立した。 2015年1月に行われた関東オープン大会では、16年間破られていなかった堀内の記録を更新し、自身初の短水路200mサーフィスの日本記録を樹立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関野義秀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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